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11/02/2004

Buffalo Daughter

 アルバム『シャイキック』発売時に、海外向けプレスリリース及び公式HP用に書いたバイオグラフィ原稿。03年執筆。

 ポップでキュートでエクスペリメンタル。ミニマルでモンドでサイケデリック。エレクトロでプログレでロックンロール。メカニックでフィジカルでスピリチュアル。トリッキーでユーモラスでストレート。ニュー・ウエイヴでオルタナティヴでパンクでファンク。そのいずれでもなく、またそのすべてでもある。

 バッファロー・ドーターの新作『Pshychic』は、シンプルなアルバムである。あらゆる音楽を飲み込んで、どこからでも入れてどこからでも出られる迷路のようでありながら、アーティストのやりたいことがこのうえなくすっきりと明快に、まっすぐに見通せる。それでいて聴き手の想像力を広げるしなやかで懐の深いサウンドスケープは、開放感と幸福感に満ちている。渋谷の雑踏を足早に歩くようでも、アメリカのひなびた田舎町にたたずむようでも、ドイツのアウトバーンをひた走るようでも、天空の彼方の宇宙空間に漂うようでもある。ぼくは新作のCD-Rを入手し、最初の10秒で傑作であることを確信して、なにかにとりつかれたように繰り返し、聴き続けた。聴くたびに新しい発見があり、視界が広がり、第3の耳が開いていく。こんな体験は、滅多にない。その前身バンド時代から数えてキャリア16年、これが彼らのたどり着いた至高の境地である。

 女性ばかり4人のミクスチュア/サイケデリック/ファンク/ポップ・バンドとして87年に結成されたハバナ・エキゾチカは、2枚のアルバムを発表し注目を集めるが解散。その中心メンバーだったシュガー吉永(g,vo)と大野由美子(b,kbd,vo)、さらにターンテーブル奏者のムーグ山本(アートワークなどバンドのヴィジュアル面も担当)らが加わって93年に結成されたのが、バッファロー・ドーターである。バンド結成前夜のミーティングで彼らが持ち寄ったアナログ盤は、ビースティ・ボーイズの『チェック・ユア・ヘッド』、シルヴァー・アップルズの『シルヴァー・アップルズ』、そしてPhuture(DJ Pieere)の「Acid Tracks」だったという。

 94年、インディで2枚のミニ・アルバムを発表。95年に来日したルシャス・ジャクソンを通じてこれらの作品を入手したマイク・Dが気に入って、グランド・ロイヤルと契約、既発のミニ・アルバム2枚に新曲や未発表曲を加えたフル・アルバム『キャプテン・ヴェイパー・アスリーツ』を発表(96年)。以後『ニュー・ロック』(98年)『I』(01年)とリリースを重ね、前作からわずか2年足らずで登場したバッファロー流ロックの最新型が『Pshychic』である。ちなみにこれはV2レコードとのワールドワイド契約の第一弾となる。

 TB303とミニ・ムーグとギターとターンテーブルのジャンクなミクスチュアによるチープでポップな脱力エレクトロ・ロック/ファンクで、情報洪水のさなかのトウキョウの風景を切り取ってみせた『キャプテン・ヴェイパー・アスリーツ』。アメリカからヨーロッパへツアー三昧の日々のいつまでも変わらない車窓の景色、なにも起こらない時間を反映したシンプルでミニマルなリフレインを繰り返すバッファロー流クラウト・ロック/人力テクノの『ニュー・ロック』、チベタン・フリーダム・コンサートへの参加をきっかけに社会意識に目覚め、かってなく「歌」と「声」を強調し、、生楽器の大幅な導入によるオーガニックで多彩グルーヴを探求した『I』と、つねに異なるアプローチで変化し続けてきたバッファロー・ドーター。『Pshychic』での彼らは、まるで彼らの日常がそのまま音となり演奏になったように、かってなく自然体で無理がない。事前に50曲もの楽曲を用意して3年をかけて作り込んだ前作の反動で、「インプロっぽい、セッション的な形で、あまり考えない、作り込まないでさっとスタジオに入ってさっと作ろうと」(大野)したのが本作で、一発録りに近い形で、わずか10日間ほどで録音は終了したという。

 「曲作りでスタジオに入るときに、楽器を持ちながらまずおしゃべりをするんですよ。音楽の話じゃなく、近況報告とかとりとめのない話。それが一段落してから演奏するわけ。たとえばドラムのアツシ君のとこに双子が生まれたとか、私が犬を飼ったとか。しばらく会ってなかったから、まずみんなの気持ちをほぐす意味もあるし。うちのバンドって、生活に近い音楽を作ってると思うから、いきなり音を出すより、お互い何を考えていて、どういう生活をしていたか、3人が集まったときにどういう気分なのか確認することが、私たちには大事。それを知ると新鮮な気分になって、自ずと音ができるわけで」(大野)

 「前作は9.11とかいろいろなことが一杯あって、私たちだけじゃなくみんなが社会的な意識を持たざるをえなかったし、それが音にも反映されて、歌詞でもそういうことを歌わずにはいられなかった。だからバッファローにしてはウエットで、しっとりした感じだったけど、今回は湿り気がない。ドライだよね。ある種の諦め感みたいなものは実はあるし、世の中の状況が良くなったわけでもないけど、だからって絶望してばかりもいられない、意外に捨てたものでもないんじゃないか、というあっけらかんとした意識が出てきたから。本作がすごく幸福感に満ちているのは、そういう反映だと思う。まじめな社会意識とかはごく当たり前のものとして私たちのまわりに溶け込んで、今回はそれを突き抜けたその先のすごく幸せな時代に入っているんじゃないかな」(シュガー)

 音楽的にはこれまでの彼らを形作っていたさまざまな要素を確認できるが、だが手垢にまみれたルーティン的なものにはなっていない。キャリアを積み重ねた豊富な音楽的蓄積にがんじがらめになってしまうのではなく、新鮮で瑞々しいイマジネーションとクリエイティヴィティを保ち続けている。それは同じことを繰り返すのをよしとせず、メンバーそれぞれが常に自分自身の持つ感覚をリフレッシュしつづける努力を怠らないからだろう。

 「あるときPILにはまって、スタジオでもそんな話をして、PILみたいな音を出してみたんですよ。すると実に簡単にそれらしい演奏ができてしまう。最初は楽しいんだけど、すぐ飽きちゃう。わかりすぎるから、できちゃうから逆につまらないんですよ。だからそれよりは、音楽とは関係のない犬の話とか双子の話をして、それをきっかけにして曲を作ったほうが面白いし、より自由で刺激的だと思う」(ムーグ)

 ちなみにアルバム・タイトルは造語。さまざまな意味を含んだ言葉だが、特定のイメージを押しつけるのではなく、聴き手が本作を聞いてさまざまに想起するイマジネーションを大事にしたいというメンバーの思いを反映している。それはメンバーそれぞれも、考えていることも感じていることも異なる存在であり、同じになりようがないのだ、という当然の前提を踏まえてのことだし、むしろちがいがあってこそ面白い、というリベラルな姿勢のあらわれでもあるだろう。

「だからバンドは楽しいんだよね。バンドの楽しさが出てるでしょ?」(シュガー)

 もうバッファローは、ほかの誰かの音楽に触発されて自分の音楽を作る段階を卒業したのだろう。生活、人間が、そのまま音楽となり作品となる。むしろバッファロー自身が、ほかのアーティストにインスピレーションを与えるような今後のロック・ミュージックの一種の指針となるかもしれない、という予感がある。彼らに触発されバンドを始め、彼らをお手本としたようなバンドが数年後には世界中のあちこちに溢れかえるようになるのではないか……まんざらそれは妄想ではない、とぼくは思っている。

2003年8月19日 小野島 大 Dai Onojima

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