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11/02/2004

Guitar Wolf

 ギターウルフの02年ヨーロッパツアー同行記。ウルフの公式サイトに掲載。03年執筆。

 12月初旬のパリは、すっかり冬支度だ。東京ではまだ早い分厚い革ジャンが手放せない。小雨が降り続く肌寒い外気に身を縮ませながら、人々が行き交う雑踏に立ちつくしていると、学生時代のかすかな記憶が蘇ってくる。20年ぶりに訪れたフランスは、そのときの印象とはすこし異なっているようにも思え、それが何なのか考えてみるが、なかなかはっきりとした形にならない。頭のなかでおぼろげになってまとまらないイメージを追い求めるより、いま目の前の現実のおもしろさを味わうほうが得策と思い直した。

 視線の先には、カメラマンのシャッターにあわせ、異形の男たちがそれぞれにポーズをとっている。黒の革ジャン、革パン、サングラスというお揃いの格好に身を包んだ3人の東洋人が、絵葉書を切り取ったような凱旋門の風景をバックに見得を切る様子は、やはり異様と言うしかない。ましてここは花の都パリのど真ん中、パリジェンヌが颯爽と行き交う世界の観光名所である。世界中どこへ行っても徹底的に手前たちの流儀を貫き通し、その熱血ぶりと気合いの入りようで、必ず浮き上がってしまう3匹のオオカミたちは、やはりここでも、圧倒的に目立っていた。その光景を見て私は笑みがこみあげてくるのを押さえられず、ざまを見ろ、となぜだかひとりごちていたのである。

 ギターウルフのヨーロッパ・ツアーに同行してきた。彼らの欧州ツアーは、小規模のものも含めれば、これで3回目になる。北米・南米・オセアニアなども含めると、海外ツアー歴はかれこれ20回近くに及ぶというからすごい。日本人アーティストが海外でライヴやツアーをやることがとくに珍しいことではなくなり、また一部のアンダーグラウンドなノイズ/オルタナティヴ・アーティストは日本より海外での知名度が高いこともまれではないとはいえ、内弁慶気味の日本人アーティストとしてはまったく異例なほどの渡航回数であることはまちがいない。この海外ツアー数それ自体が、彼らの音楽、彼らの存在、彼らの気合いの国境を超えた普遍性を示してはいないか。

 今回のツアーは、ストゥージズやニューヨーク・ドールズの発掘音源などでパンク・ファンに知られ、ミッシェル・ガン・エレファントのアルバムをヨーロッパ・リリースしたことで日本のファンにもなじみ深いフランスのインディ、スカイ・ドッグから『UFOロマンティクス』が発売されたことにともなうもので、フランスを中心に19日間で15本ものギグが組まれている。かなりの強行日程の最後の三日間、パリ周辺の3本のライヴに私は同行することになった。私にとっては、97年晩秋のクランプスとのUSツアー以来、2度目のウルフの海外ツアー同行だ。

 29日11時50分発のANA直行便でパリへ。なんと私とカメラマンの三島氏だけ、レコード会社の担当者も同行しない貧乏旅行だ。機中ではひたすらワインを飲み続け、ちょっとした二日酔い状態で同日16時過ぎ、予定よりはやくシャルル・ド・ゴール空港に到着。この日はパリ市内のクラブでライヴがある予定で、コーディネイターの佐藤さんと空港ロビーで待ち合わせ、タクシーでパリへ向かう。土地勘もフランス語能力も皆無のわれわれは、この小柄な女性だけが頼りだ。

 投宿先のホテル・ノートルダムは、マルト通りという繁華街の真ん中にひっそりとたたずんでいる。スカイ・ドッグがブッキングしたものだが、いかにもヨーロッパをツアーしてまわるインディーズのバンドが定宿としていそうな、簡素でこじんまりとしたホテルだ。チェックインして荷物を置き、徒歩15分ほど離れた今夜の会場、ヌーヴォー・カジノに向かう。新宿ロフトをひとまわりぐらい小さくしたようなちいさなクラブである。

 ちょうどサウンドチェックが終わった直後だったらしく、リラックスした様子のメンバーや、マネージャーのはっちゃくと再会する。まるで東京の居酒屋で出会ったような気負いのない、さりげない挨拶。それがまた彼ららしい。10数回も訪れているアメリカならまだしも、それほどなじみのないはずのヨーロッパでの長期の旅なのに、疲労の色はまったくない。やはり長い海外ツアー生活がすっかり身についているのだろう。トオルは人の好さそうな笑顔で歓待してくれたし、ビリーは挨拶もそこそこにさっそく軽口を叩きながら佐藤さんにちょっかいを出している。まだ酔いが進んでいない(?)セイジは言葉すくなに鷹揚な笑みを浮かべている。そんな様子に、私は日本から遠く離れた異国という非日常的な感覚をすっかり忘れていることに気づく。

 クラブに併設したレストランでメンバーとともにディナー。地元では評判の味だというが、なるほどかなりうまい。アメリカ・ツアーでは1週間で日本食が恋しくなるという彼らも、ヨーロッパでは食べ物がおいしいせいか、まったくストレスがたまらないという。とはいえ、メンバー、とくにセイジはライヴ前はまったく食事をとらない。へたに腹に入れると、ライヴ中に戻してしまう危険性があるためだ。長年のライヴ生活から導き出された習慣というわけだが、彼らの体力の限界に挑むような壮絶なライヴを知れば、納得できることではある。プロ・スポーツ選手も試合前は食事をとらないというが、ギターウルフのライヴもまた、体力勝負、消耗戦という意味では同様なのだ。ライヴ後の打ち上げでもセイジはビールしか飲まないから、結局ツアー中のまともな食事は朝食と昼食だけということになる。なにもかもが規格外の生きざまと言うしかない。

 食事が終わり、メンバーは楽屋に帰る。残されたわれわれはクラブに戻って開演を待つが、このころになるとジェット・ラグとビールやワインの酔いも手伝って、前座バンドの演奏中に猛烈な眠気に襲われる。記憶も定かでないほど朦朧とした時間を過ごし、ふと気づくとウルフの演奏の直前だった。いつのまにか会場は満杯の盛況である。今回のヨーロッパ・ツアーはどこも動員は好調で、観客の受けも非常に良いという話は聞いていたが、どうやら日本で考えるよりもずっと、彼らの知名度は高いようだ。もちろんクランプスのときのような地元の人気バンドの前座などではなく、ウルフがヘッドライナーのツアーだ。ツアー開始当初はスカイ・ドッグの宣伝効果もあったろうが、このころになると噂が噂を呼んで動員に拍車がかかっているのだろう。現地の有力パンク/ガレージ系サイトに絶賛のライヴ評が載ったりして、期待感を煽ってもいるようだ。

 客層は日本とはだいぶちがい、年齢はかなり高く、男が多い。早い話が、おっさんばかり。日本で見るような若い女の子など、ほとんどいない。佐藤さんによれば、やはりフランスの若者たちの間ではローラン・ガルニエやダフト・パンクのようなダンス・ミュージックの人気が高いという。この日の客層は、ロックという音楽がフランスでどのような位置にあるのかというあらわれなのかもしれない。だが、ビールと煙草片手のむさくるしい男たちの匂いがムンムンと漂う会場。まったく悪くない雰囲気だ。

 ライヴが始まれば、いつもの通りのウルフである。『仁義なき戦い』のテーマが流れるなか、缶ビールを一気飲みするセイジ、油だらけのリーゼント・ヘアをクシでなでつけるビリーとトオル。

 「いくぜ、パリス、ベイベー!」

 あまりに予想通りなセイジの絶叫で、一気呵成のライヴが始まる。もちろん眠気などはとうのむかしに吹っ飛んでいる。日本でも、アメリカでも繰り返された毎度おなじみのウルフのライヴが、ここでも寸分たがわず展開される。それをマンネリという人もいるだろう。だがそれは「偉大なるマンネリ」なのだ。繰り返しが味になり、人間的な深みとなる。そういう境地に、彼らは達している。

 客の反応に驚く。日本のようなダイブやボディ・サーフこそないものの興奮した男どもの怒号と咆哮が飛び交い、場内は騒然とした空気になっている。日本人アーティストの海外ライヴは何度か見ているが、これほど最初から熱狂的な反応があるのは初めてだ。東洋からきたワケのわからん異形の男たちへの好奇心ではなく、一個のイカしたロックンロール・バンドを心から楽しんでいる。そういう雰囲気なのだ。

 「よく来てくれたな、メルシー、ベイベー!」という三カ国語MCに爆笑しながら、ライヴはずんずん進む。「キック・アウト・ザ・ジャムス」「ランブル」と続くクライマックス。そして2度のアンコールのあと、セイジがひとりギターを持って登場、まさかと思ううち「アイ・ラブ・ユー、OK」を弾き語り始める。聞けば、今回のツアーではほとんどの箇所で演奏したという。日本人なら誰でもわかるこの曲にまつわるある種の神話性を、もちろん会場に詰めかけたフランス人は知る由もないだろう。だが歌にこめられた気合いだけは、まちがいなく伝わっている。消耗しきってヨレヨレなギター演奏、ただがなり立てるだけで原曲のメロディも歌詞もあったものじゃない歌。だがそこにはロックのもっとも原初的な衝動がつまっている。ギターウルフの素晴らしさは、およそロックンロールの魅力を知る者なら、誰でも了解可能な単純明快なわかりやすさがあることだ。それは音楽的な構造だけの話ではない。およそロックンロールを志した者なら誰でも一番最初に持っていたはずの衝動を、いまだに強く、純粋な形で保持し続けているのだ。その「衝動」を彼らは「気合い」と呼んでいるわけだが、だからこそ彼らのロックンロールは国を超え人種を超え言語を超えて伝わるのである。

 ライヴが終了し、茫然自失のていでいると、撮影を終えた三島さんがニコニコしながら近寄ってくる。彼も何回かウルフの海外ツアーに同行しているが、ここでもいつもと同じ最高のステージを見せた彼らに安心すると同時に、改めて感服もしたようだ。ウルフ初体験だった佐藤さんも興奮の面持ちである。やがてすっかり憑きモノが落ちた感じのメンバーがやってくる。ライヴ中の異様なまでのヴォルテージとの落差が、何度みてもおもしろい。

 一旦ホテルに荷物を置いてから、近くのパブへ繰り出す。メンバーはセイジのみ参加で、これはいつものパターン。佐藤さんの友人でもともとギターウルフの大ファンだったという映画ライターのトムや、地元の音楽ジャーナリストの女性なども交えた飲みは深夜まで続いた。

 11月30日。典型的な時差ボケで早朝には目が覚める。ホテルの食堂へ行くと、セイジがすでに朝食をとっている。昨晩あれだけ遅くまで飲んでいたのに、ずいぶんマメなことと感心するが、夜食べないぶん朝はちゃんと食べるようにしているとのこと。当初取材チームはレンタカー移動の予定だったが、ウルフの機材車に余裕があるということで同乗させてもらうことにする。前列に運転手代わりの現地ロード・マネージャーのビーピー、はっちゃく、佐藤さん、中列にビリー、三島さん、トオル、後列にセイジと私が座る。ツアー中の各人の座る席は決まっているらしく、最後までこの並びは変わらなかった。

 この日のライヴはパリから西に2時間ほどの、エヴルーという街。観光ガイドにも載っていないような、これと言って特徴のない、典型的な地方の小都市。とはいえ、パリもそうだが、石畳と、古い煉瓦作りのビルが立ち並ぶ風情は、いかにもヨーロッパの歴史の古い街らしい雰囲気があり、新旧のビルが街としての美観などお構いなしに乱立する日本のごちゃごちゃした混沌とはまるで異なる。投宿先のデ・ラ・ビーチェも古い建物の風情あるホテルで、昨日のビジネス・ホテルふうな素っ気なさとはだいぶちがう。はっきりいえばギターウルフに似合うとは思えないのだが、無数のツアーでありとあらゆる街に行きつくしている彼らは、気にするふうでもなく、いつものように堂々と浮いていた。

 この日の会場はラ・ボルダージュというヴェニューで、地方の小学校の講堂といった趣の、クラブというよりは古いダンスホールだ。日本ではあまりリハーサルはやらないらしいが、さすがにヨーロッパでは入念に出音やモニターのバランスをチェック。セイジがお得意のカラオケ・レパートリー「長崎は今日も雨だった」や天地真理などを歌い始めたときは、日本人のみ大受け。

 はやめのリハーサルが終わり、近くの遊園地でフォトセッション。ここでも3人は目立ちまくりだ。知らずに街で会ったら目を合わさぬよう避けて通ることはまちがいない風体の3人に、子供や若い女の子が次々と寄ってきて、サインを求めたり話しかけたりするのは少々意外だが、案外彼らの本質を曇らぬ眼で見抜いているのかもしれない。

 やがて夜となり、クラブ内の食堂で主催者が用意したディナーをいただく。これもなかなかの味。そういえばクルマの給油で立ち寄ったガソリン・スタンド併設のコンビニで買ったサンドイッチもふつうにうまかった。確かにヨーロッパの食の水準は高いようだ。例によってセイジは一口も口にせず、ビールだけを飲んでいる。われわれはワインをガンガン飲んでいい気分。ふつうなら本番前のアーティストに気を遣うところだが、当のアーティストがぐびぐび飲んでいるのだから関係ないや、という理屈である。三島さんも佐藤さんもいける口なので、歯止めが利かない。気がつけば、一滴もアルコールを口にしないのは、もともと下戸のトオルだけだ。周りが酔っぱらいばかりでやりにくくないかと訊くと、「いや、別にいつものことだし、ヘロヘロになって緊張感があるっていうのも好きだから。次、何やらかすのかなぁって(笑)。同じ曲2回弾いたり、曲順決めたのに、2人でちがう曲始めちゃったり(笑)。おもしろいですよ」と、実に達観した答えだった。ウルフの土台はトオルが支えていると確信した。

 やがて会場にも人が詰めかけ、ウルフの出番も近づいてくる。客層は昨日とほぼ同じ。みな落ち着いた様子でバーカウンターにもたれ、ビールを飲んでいる。気負った空気はまったくないが、静かな期待感が場をおおっているのがわかる。

 サポートのバンドの出番が遅れたせいで、ライヴは予定よりかなり遅れて始まった。とはいえ内容はいつも通り最高で、観客もそれに熱狂的に応える。客の期待を裏切らないという意味で、彼らは確かに最高のエンタテイナーであるにちがいないが、その意識に客への媚びへつらいなどは微塵もないはずだ。ただ自分たちの心のまま、衝動のまま、感情のままにふるまう。ただ歌い、叫び、演奏することが楽しくて、その日一日を悔いなく終わりたいと真剣に願い、それを実行する。その彼らの本気が観客とぶつかりあい、スパークする瞬間の濃密なドラマが、日本の、アメリカの、ヨーロッパのあちこちで展開されているのである。それは彼らにとって昨日と同じ日常ではあるが、しかしかけがえのない一日でもある。そして観客にとっては、それはやはり「ハレ」なのだ。ましてフランスのいち地方都市のダンスホールに詰めかけた男たちにとっては。そして、この日もとびきり濃厚なクライマックスが最後に待っていた。

 2回のアンコールが終わり客電も点灯し、もう終わりかと思ってロビーに出ると、突然ギターの爆音が鳴り響く。会場に戻るとセイジがひとりギターを持って「アイ・ラブ・ユー、OK」のイントロをかき鳴らしている。マイク・スタンドに近づき歌い始めるが、なんとマイクがない。当然ながらギターの爆音にかき消され、ヴォーカルはまったく聞こえない。だが構わずセイジは歌い続け、かき鳴らし続ける。スタッフがマイクを持ってくる様子はない。やがて気づいたらしいセイジはもうひとつのマイク・スタンドに向かうが、そこにもマイクはない。フランスでは誰ひとりとして知るはずのない曲。おまけにヴォーカルは聞こえない。だがそこで決してセイジはあきらめない。マイクのないマイク・スタンドに向かってやつは叫ぶ。全存在をかけてそのエモーションを伝えようとしている。これこそが、ギターウルフなのだ。そいつは涙が出そうなほど感動的な光景だった。気がつけば、私は大声でうろ覚えの歌詞を歌っていた。ステージのそでで見ていたらしいビリーとトオルに、あとでさんざんからかわれたが、こんなときに歌わなければ日本人を、ファンをやっている甲斐がない。

 結局はドラムス用のマイクを使い、最後の一節だけセイジの歌が会場に響き、ライヴは終わった。残った観客はすさまじい拍手と歓声だ。あとで聞いた話では、会場で音を出せる時間をとうのむかしに過ぎていて、店側がマイクを提供してくれなかったらしい。出番が遅れたのはもちろんウルフの責任ではなく、PAエンジニアを兼ねるビーピーはかなり店のスタッフともめたようだが、メンバーやはっちゃくは「よくあることですよ」と、まったく意に介する様子もなかった。こんな濃厚なドラマも、彼らにとって毎日の生活のひと駒に過ぎないのだ。彼らの人生は常人の数倍の密度で流れているにちがいない。

 終演後はメンバー、スタッフや友人・知人(どこへ行っても彼らの友人の多さには驚く。この日もマルセイユ公演で共演したバンドの連中がわざわざ見に来て、メンバーを喜ばせていた)も含め酒盛りになる。日本からおみやげで持参した金粉入り焼酎のボトルがあっという間に2本、カラになり、店の人に追い出される深夜まで宴は続いた。

 12月1日。翌朝は小雨がぱらつくあいにくの天気。ホテルの近くでやっていた朝市をひやかしてから、一路パリに向かう。パリらしい景色をバックにしての1枚が欲しい、というレコード会社からのリクエストで、凱旋門の前でフォトセッションをやるためである。人々の好奇の目を集めながら、30分ほどで終了。近所のハンバーガー・ショップで腹ごしらえをしたあと、いよいよヨーロッパ・ツアー最後の公演地に向かう。パリの東1時間弱ほどのヴィルボン・シュール・イヴェットという街でおこなわれる「エフェルヴェソンヌ」なるフェスティヴァルhttp://www.effervessonne.com/が、それだ。30日の金曜日から3日間に渡っておこなわれる、主にフランスの地元のバンドを中心とした屋内型のイヴェントである。インターナショナルなアーティストはほかにプライマル・スクリーム、デ・ラ・ソウル、ホレス・アンディ、ファン・ラヴィン・クリミナルズといったあたりがラインナップされていたが、プライマルは直前にキャンセルとなったようだった。中規模のドーム型のアリーナと、ふたつの小さなテント型スペースがこじんまりとした敷地にあり、同時進行でバンドが出演する。ウルフはちいさいほうのマジック・ヌーヴォーなるテントのトリでの出番だ。まだフランスでは最初のアルバムが出たばかり、知名度も実績もまだまだ足りないウルフがトリなのは、もちろんブッキングしたスカイ・ドッグの力だろう。

 近くのホテルでチェックインしてから会場に向かうと、すでに夜。とはいえウルフの出番の10時までは長く、会場をブラブラして時間をつぶす。フェスといってもフジ・ロックやサマーソニックに比べればかなり小規模で、出店の数も少なく、小雨が降りしきる肌寒い天候もあってか、動員ももうひとつという感はあったが、それでもフェスティヴァルとは心躍るものだ。いくつか見た地元のバンドは私には物足りなかったが、これまでのちいさなヴェニューとは比較にならない観客の数で、若いファンも多い。サウンドチェックのないウルフは、地元のテレビ局の取材を受けるなどしている。

 そしていよいよ出番がきた。テントの前にはすでに長蛇の列ができている。下北沢シェルターを一回りちいさくしたぐらいのテントは、ほぼ満杯の盛況。若い客や女性も多く、これまでの2日間とはちがう雰囲気だ。結局この3日間のライヴにすべて参戦したトムの顔もある。

 ライヴはすさまじかった。これで最後ということで、メンバーの気合いの入れ方もハンパではなかったはずだが、それ以上に客の反応がすごかったのだ。前2日間では見られなかったダイブ&ボディ・サーフの連発。ポップ・コーンのように次々と、嬉々とした表情の男たち(女もいる)が宙を舞っていくさまは、見ているだけで楽しい。オン・エア・イーストやリキッド・ルームでさんざん見慣れた光景だが、宙を舞っているのは、ほんの一ヶ月前まではウルフのライヴなど見たこともなかったフランス人たちなのだ。観客の発する猛烈な熱気とエネルギーにさらに加速されるように、ウルフの演奏はヴォルテージをあげていく。おとなしいトムまでがダイブしているのは痛快だった。

 ライヴがいよいよクライマックスにさしかかるころ、ふとまわりを見るとほぼ満杯だった客はすっかり減って、ステージ前で大暴れしている連中を除くと、うしろのほうで遠巻きに見ている人が一握りだけ、いつのまにかテントの中は閑散としている。どうやら興味本位で見にきた客の大半は終電の時間を気にしてか呆れてか、中座してしまったらしい。ぬるい地元バンドに慣れっ子になっているフランスの若僧には、刺激がきつすぎたのだろう。当然ステージにいるメンバーには客が減っていく様子は見えていたはずだが、全然テンションが落ちないどころか、さらに上昇している。それに応え、客の反応もいっそうヒート・アップしていくのだ。

 その歓喜の渦を一歩離れて見ながら、私は、昼間の凱旋門のフォトセッションで感じた、20年前と現在のパリの印象の齟齬感について、ようやくはっきりとわかった気がした。20年前に感じたよそよそしく排他的で気取っていて、ときに人種差別的とも思えたフランス人のふるまいが、私は好きではなかった。たとえばそれはロックンロールのまっすぐな情熱やひたむきなエネルギーとは対極にあるような気がしていたのだ。だがこの3日間で感じた、そしていま目の前で私が見ているのは、日本人やアメリカ人にも劣らぬパリっ子たちのロックンロールへの熱狂でありパッションであり、生々しい初期衝動を包み隠すことなくさらけ出す人間臭い赤裸々さだ。それはこれまで私が彼らに抱いていた偏見に近い感情を軽く払拭するものであり、そしてそれを引き出したのはまちがいなくギターウルフの存在だったのだ。彼らのロックンロールが、フランス人と日本人を隔てていた薄い膜を取っ払い、魂と魂を触れさせた。そんな言葉にすれば照れ臭い思いを抱きながら、私は熱狂するフロアを飽きずに眺めていた。

 メンバーも、スタッフも、もちろん取材陣も、この日こそが最高のライヴだったことを言葉にせずともわかっていたはずだ。その後の酒宴はそんな思いが錯綜し、誰もが興奮気味だった。珍しくビリーが酔っぱらっていたのは印象に残っているが、ほとんどの記憶は心地よい酔いとともにすっぽりと抜け落ちている。

 メンバーとはっちゃくは翌朝一番の便で、私と三島さんは、夕方の便で帰途につく。おそろしい密度とスピードで駆け抜けた3日間だった。私の旅はこれで終わる。だが彼らの旅はこれからもずっと、おそらくはよぼよぼのジジィになってくたばるまで、続くだろう。そいつは、トロツキーも顔負けの「永続革命」だと思うのだ。もちろん、ロックンロールが人々にもたらす心の革命の、である。

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