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11/09/2004

Hardfloor

96年5月の来日時のインタビュー。ミュージックマガジンの記事の完全版。

――昨日のライヴは時間が短かったんですけど、いつもあんなもんですか。

オリヴァー いつもあんなもんだよ。45分もあれば十分だと思う。

ラモン 別にステージで特別なパフォーマンスをやるわけじゃないし、機械の後に立って操作してるだけだからね、1時間を超えるとお客さんの方が飽きちゃうんじゃないかな。

――日本の客の反応は?

オリヴァー 日本のオーディエンスの方が、ステージで今何が起こっているかということに着目してくれる。そのへんは自分たちも嬉しいね。ドイツでは、客は踊りに来てるという感じで、ステージの上なんか見てないから。

――結成するまでの簡単な経緯を教えてください。

オリヴァー 83年からDJをやっていて、ラップやエレクトロなんかをかけていた。それから86年にシカゴ・ハウスが出てきて、それにハマったんだ。88年にはアシッド・ハウスが大流行して、それがきっかけでプロのDJになろうと決心した。前々から曲を作るアイディアは持っていたけど、機材がなかったんだ。で、エンジニアとかスタジオを持ってるやつとか探してたんだけど、そうするうちにラモンに会ったんだ。で、何か曲を作ろうということになった。

――お二人ともドイツに住んでいたんですか。

オリヴァー そう、二人とも生まれも育ちもデュッセルドルフだよ。

ラモン 高校を出たあと、テレビ/ラジオの仕事を始めた。メカに強かったんで、そういったプロダクション会社で、壊れた機材を修理したりしてたんだ。そうした下積みが1年半ぐらいあって、そのあとにスタジオ・ワークをやりたかったんで、エンジニアとしての勉強を始めたんだ。当時、あらゆる音楽をリミックスしたりマスタリングしたりという作業をやっていて、そのうちにいろんなプロダクションを手がけてみないかという依頼が入るようになった。それでお金を稼いで、念願の自分のスタジオを手に入れたんだ。そこでオリヴァーに巡り会って、このユニットを始めた。

――シカゴ・ハウス以前に影響を受けている音楽は、お二人ともヒップホップなんですか。

オリヴァー いろいろあって、黒人音楽が多いのか白人音楽が多いのかわからないな。だいたい黒人音楽が好きだったけど、初期のエレクトロニックな音楽、70年代後半のYMOとかクラフトワークとか、ヴァンゲリスなんかも聞いていた。その前は、キッスなんかのロックや、ボニー・Mなんかの70年代ディスコを聞いてたね。

ラモン ティアーズ・フォー・フィアーズなんかの80年代っぽいものが好きだった。レヴェル42が好きでベースを始めたり…。ダンス・ミュージックを聞くきっかけになったのはニュー・オーダーの「ブルー・マンデイ」だった。

――最初に聞いたヒップホップは何でしたか。

オリヴァー 最初は、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」だったね。

――80年代の頭に、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレと言われるドイツのニュー・ウェイヴの動きがありましたが、そのあたりの影響は?

オリヴァー クラフトワークぐらいは聞いてたけど、かといって、それにのめりこむようなことはなかった。スタジオワークとかやプロダクションの面でも、自分の興味の対象になるようなものは、アメリカのものが多かったんだ。

――シカゴ・ハウスにのめり込むようになったきっかけは?

オリヴァー あるディスコでDJがロックもヒップホップもダンス・ミュージックもポップもミックスしてかけてたんだけど、その時に初めて、ハウス・サウンドを聞いたんだ。すごくチープでミニマルで非常に面白かったんで、他にもないかと探したんだ。そうこうするうちにDJ・ピエール/PHUTUREの「アシッド・トラックス」が出た。当時としてはすごく変わった曲だったんで、レコード屋に走って他にも探したんだけど、そのときにそれがアシッド・ハウスと言われる音楽だと知ったんだ。

ラモン スタジオで働いてたときに、シカゴものをライセンスしている会社の仕事をやってて、その時に初めて聞いた。これがシカゴのハウス・ミュージックだと言って聞かされたときは、あまりにチープなんで「なんだこりゃ」って笑っちゃった。でも、ヴァースがあってサビがあってという決まり切った音楽ばかりの中で、ハウスはぼくに、新しい音楽の作り方を教えてくれたと思う。ぼくは13歳のときにシンセサイザーを弾き始めたんだけど、当時はフェスティヴァルに出ても生楽器のバンドでやってる連中に笑われるばっかりだったんだ。10年後にはエレクトロニック・ミュージックが世の中を支配しているなんて、誰も思わなかったからね。

オリヴァー ラモンが言ってる会社は、『ヒストリー・オブ・ハウス』という12枚組のボックス・セットを出してたんだ。初期のディスコからアシッド・ハウスまで収録した、すごくいいコンピレーションだよ。

――80年代の後半ぐらいのデュッセルドルフでは、アメリカのハウス・ミュージックというのはかなり一般的なものだったんですか。

オリヴァー そんなことはないね。(ハウスを扱っているのは)サンスクリット・レコードという小さなレコード屋がデュッセルドルフにひとつと、ボーイ・レコードがケルンに一つあるだけだった。そのレコード屋ではアメリカの輸入盤を扱っていて、ぼくはそこでハウスのレコードを買ってたんだ。ハウスはすごくアンダーグラウンドだったから、かかるのはケルンのレイヴ・(?)クラブとというところだけで、それも週に一度だけだったよ。

――ドイツには、タンジェリン・ドリーム以来のエレクトロニック・ミュージックの系譜がありますが、デュッセルドルフに住んでいるあなた方がなぜ海の向こうの、ロクに情報も入ってこないようなアメリカのハウス・ミュージックに惹かれるようになったんでしょう。

オリヴァー よくわからないけど、ぼくは子供の頃からいつもアメリカのものが好きだった。BMXやローラースケートなんかのね。

ラモン 個人的には、タンジェリン・ドリームやクラフトワークなんかのエレクトロニック・ミュージックは、冷たすぎると思うんだよね。ソウルがないんだ。ハウス・ミュージックは、エレクトロニック・サウンドにグルーヴとビートを加えたところが共感できた。タンジェリン・ドリームやカンにはなかったものだ。クラフトワークは冷たすぎて面白くなかった。「ブルー・マンデイ」を聞いたときも、ヴォーカルがちゃんと歌ってる感じが良かったんで、アメリカとかイギリスの音楽を聞くきっかけになったと思う。

――ハードフロアを結成したときには、どういう方向性を目指していましたか。

オリヴァー もともとはオールド・スクールなアシッドがやりたくて、90~91年ぐらいにかけて、ハードフロアの構想を練っていたんだ。ラモンが、アシッドをやるにはTB303がいるって言ったけど、最初は303なしでいくつかレコードを作った。その後店に303を3台見つけたんですぐ買ってきて、プログラムを練習して、この時から自分たちのやりたいアシッド・ハウスができるようになった。それから『ハード・トランス・エクスペリエンス1』を出した。そこでは、いわゆる古いアシッド・ハウスじゃなくてぼくたち独自のものがやりたかったから、スネア・ロールや長いブレイクを入れたんだ。オールド・スクールのアシッド・ハウスとは違うものだったけど、303が入っていたんで、それはアシッド・ハウスと呼ばれたよ。

――ラモンさんにお聞きしたいんですけど、TB303がどうしても必要だったんですか。

ラモン えーと…。

オリヴァー 最初ラモンに、アシッドのフレーズをサンプルしてぼくたちの曲のバックに流そうって言ったら、他の機械で代用できるっていうんで、スマイリー・ステッカーの貼ってある(笑)彼のJUNO106で作ってみた。でも、303とは全然違うんだ。モジュレーションが違うんでね。

ラモン ぼくは友だちから303を借りたんだけど、スイッチを入れた途端「おお、シカゴ・スタイルのほんとのアシッド・トラックを作るのには絶対これがいるんだ!」と思った。アシッド・トラックを作るのに、自分を表現する必要はない。ただ303をならせばいい。そのときはこれでDJ・ピエールみたいなサウンドが作れるって喜んだけど、さて303を使ってこれまでとは違う音を作るにはどうすればいいかということを考えると、303を3台はそろえなければいけない。そうやって『ハード・トランス・エクスペリエンス』ができた。それが売れたんで、『TBリサシテイション』というアルバムを作ったんだ。303は生きているっていう意味でね。でも、今では必ずしも303にこだわっているわけではなくて、セカンド・アルバムでは他のシンセサイザーもたくさん使っているし、303も色んな使い方をした。ディストーションをかけたり、MIDIを使ったり…。

オリヴァー もう自分たちがかつて目指していたところには到達したからね。そうなれるとは思ってなかったけど、『…エクスペリエンス』が成功したときに、みんなはぼくたちがアシッドをリヴァイヴァルさせたと言ったしね。で、ハードフロアとしてクリエイティヴなものを進展させていくには、シーケーンサーが必要だと思ったんだ。ただ、シーケンサーにできることは、自分のアイディアをプログラミングしてそれを応用させることでシーケンサーそのものがいろいろとやってくれるわけじゃないから、あくまでも自分を表現する道具として使わなければいけないんだなということがわかった。

――ファースト・アルバムであれだけ強烈なスタイルを築き上げてしまうと、それを崩して次にいくということはなかなか難しいことだと思いますが、それに関してはどういう風に解決したんですか。

オリヴァー そういうことは考えたことがなかった。確かに、世間からは高い評価を受けたし、303を使うのがどんなに素晴らしいことかを自分もかみしめながら作ったのが『TBリサシテイション』だった。88年ごろからぜひやってみたかったことができたんで、ほんとに夢がかなった感じだったんだよ。セカンド・アルバムを作るのにはかなり時間がかかったんだけど、その間ドイツのレイヴ・シーンは、ハードなものとグルーヴィでハウスっぽいものに分かれていった。ぼくたちはハウス・ミュージックのファンキーなドラミングに強い影響を受けていたけど、これまでのハウスのようにオルガンとかストリングスとかを使うのではなくて、ディストーションをかけた303やエフェクトを使ったハードなサウンドでいくことにしたんだ。これがセカンドの『リスペクト』でやったことだ。

――新しいアルバム『ホームラン』なんですが、アルバム・タイトルも曲のタイトルも野球に関係してますけど、ドイツって野球が一般的なんですか。

オリヴァー いや。ドイツにはプロ野球はないんだ。でもぼくは10年前野球をやってた。友だちがチームを作ろうって言ったんだけど、最初はどういうものか全然知らなかった。たぶんアメリカのものだから興味がわいたんだろうね。で、ルール・ブックとグローヴとバットを買って、一生懸命練習した。ぼくたちはけっこううまかったよ。6年前に野球をやめたときは、ドイツでは1部リーグにいたよ。プロじゃなかったけどね。野球をするのは楽しかったし、今でもTVでよくアメリカの野球を見てるよ。ドイツでは週1回のダイジェストしかやってないけどね。日本でも野球が盛んなんで、時間のあるときにホテルのTVで見てる。タイトルに関しては、いつも曲ができあがってから面白いものを考えてつけるんだ。たとえば『リスペクト』では食べ物の名前だったし、いつもまったく意味のないものをつけるようにしてる。音楽自体が面白いわけで、ぼくたちは曲に特別なメッセージなど込めていないからね。みんなテクノが未来的だと思ってるからSFっぽい曲名をつけたりするけど、誰もがコンピュータを使ってる今じゃ、テクノは現代の音楽だ。ティピカルなテクノ・イメージは嫌だったから、わざとテクノに全然関係ない野球関係の曲名でいこうと思ったんだ。

――プロ野球選手として食べていけるんだったら音楽はやめちゃってもいい?

オリヴァー もちろん! 毎日練習してたし、ショートから始まってピッチャーまで全部のポジションを経験してるし、バッターとしてもなかなかのもんだ。1部リーグでやってたんだけど、僕がいたチームの選手はどうもうまくなかったんで、それでデュッセルドルフのもっと年季の入ったチームに移ったりとか、かなり熱心にやってたんだ。でも、ちょうどそのころ音楽制作やDJを始めたんで、週末のDJと野球とは両立しなくて、音楽に専念するようになったんだよ。
――『ホームラン』では、リズムがすごく多様化してますよね。前はシャッフルを応用したようなのが多かったけど、今回はレゲエやジャングル、ヒップホップみたいなのもあるし。

オリヴァー リズムはいつも重視している。ファーストやセカンドでは、初めに303ありきっていう感じで、自分たちが303をどこまで使いきれるかっていうのがテーマだった。でも、今回はサウンドの全体のバランスを考えたかったんで、ドラムとサウンドの融合という部分で、リズムにこだわってみたんだ。今まではまず303の音が耳に飛び込んでくるっていう印象だったけど、今回は全体を聞いてから総合的な判断がつくような、広がりのある音楽を作りたかった。確かにヒップホップのビートを取り入れたりしてるけど、音的にはこれはハードフロアだと言える音楽性を継承してると思うんで、それほど違うことはやってないんじゃないかな。もともとはハウス・ユニットとして始まったハードフロアだけど、最近はもっと聞くための音楽という方向になってきていると思う。

――ハードフロアの音楽はテクノというのがふさわしいのか、ハウスというのがふさわしいのか。あるいはあなたたちが定義するテクノとハウスの違いというのはどう考えているのか、そのあたりを聞かせていただきたいんですが。

オリヴァー 自分たちの音楽がどういうジャンルになるのか、わからないね。

ラモン テクノとハウスの中間ぐらいかな。

オリヴァー ぼくたちはクロスオーヴァーなものをやろうとオープンな姿勢でとりくんできたけど、ロックとダンス・ミュージックとかそういう全然違うもののミックスじゃなくて、基本的にはテクノやハウスと呼ばれるものの範囲でやっていきたい。ぼくたちはハウスっぽいオルガンやドラミングも使うし、ハードでインダストリアルなテクノ・サウンドも使う。ファースト・アルバムは今までのオールド・スクールなアシッドじゃないという意味で、自分たちではフューチャー・アシッドと呼んでたけど、セカンドとサードについては、自分たちはハードフロアだという意識があるんで、テクノだとか、トリップホップだとかエレクトロニック・リスニングだとか、自分たちからジャンル分けをすることはしない。

――アメリカの音楽や文化に影響を受けているとおっしゃってますが、私たちはハードフロアを聞くとすごくドイツっぽいと感じます。ご自分たちでは、ハードフロアの音楽はドイツの音楽だと思いますか。

オリヴァー 自分たちがハウス・ミュージックをやる意義というのは、ハウスはインターナショナルな音楽で壁がないことだと思う。たとえばフィンガーズ・インクのレコードを聞くと、長いイントロを聞いてもどこの国の人がやってるか分からないような普遍性があって、それがハウス・ミュージックの魅力だと思ってる。確かにアメリカのものも好きだしドイツからもいい音楽が出てきてるけど、ぼくたちは特に自分たちの国籍を意識したことはない。ドイツにはいいエンジニアとかプロデューサーがいっぱいいるけど、もっと広い目で見れば、どこの国にも腕のいいプロデューサーはいるわけだし、大切なのは自分のスタイルを守ることじゃないかな。ぼくは世界中のDJとつきあいがあるけど、たとえばシカゴのアルマンドなんかもハードフロアを支持してくれるけど、それはぼくたちがドイツ出身だからということではないと思う。

――セカンド・アルバム『リスペクト』にはジャケットにいろんなアーティストの名前が書いてあったんですけど、あれはあなたがたが尊敬するアーティストということですか。

オリヴァー その通り。

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