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11/02/2004

Joe Strummer (1)

 ジョー・ストラマーの追悼文。THE DIG誌用。

 ジョーはおれより5歳ほど年上だが、おれにとって初めてあらわれた、同世代を感じさせる表現者だった。もちろん、それはパンクの登場と無関係ではない。学生運動という形で既存の社会構造や価値観に反抗できた上の世代に対して、おれの世代は最初から上の世代の価値観を受け入れるしかない諦めが漂っていた。反抗の気分だけがチョロチョロと矮小な形で噴出するだけの鬱屈した毎日だったのだ。そして大学卒業のギリギリになって訪れたパンク・ムーヴメントに対して、同じようにロックを聴いていた多くの友人たちは冷ややかな反応しか示さなかったが、おれはようやく反抗の狼煙をあげた同世代のボンクラたちのボンクラなロックに夢中になった。決して先行きの見通しがあるわけじゃないけど、でも叫ばずにはいられない……そんな気分を代弁していたのがパンクスたちだった。そして、平凡なパブ・ロック・バンドで朽ち果てる直前だったジョーが突然打ち上げた花火は、就職を目前にしていたおれに、ちょっとした意識革命をおこしてくれた。おれがいまこんな仕事をやっているのは、それと無関係ではない。

 たぶんおれにとってジョーはただのミュージシャンではなかった。

 いままで何人もの敬愛するアーティストがおれの前から去っていった。だがジョーの死を最初に知ったとき感じたのは、そうしたミュージシャンたちが亡くなったときのショックとは、すこしちがった気がする。言葉にしてしまえば陳腐だが、身近な友人を亡くしたときのそれに近かったかもしれない。もちろんおれは彼と親交があったわけではない。取材で一度会ったことがあるだけだ。だが彼はおれの友だちだった。そう思わせる魅力が彼にはあった。そして、おれと同じように感じていた連中は、世界中に何十万人といたはずだ。

 正直なところ、おれはジョーの全面的な信奉者というわけではない。音楽的にはムラの激しい人だし、才気煥発というタイプではまったくない。ひとりのアーティストとしての振る舞い方や筋の通し方も、ずいぶんでいい加減なところがある。発言や行動は矛盾だらけだし、ときに迷走する。だがだからこそ、そこに生身の人間臭さを感じることができる。矛盾や弱さや欠点はいっぱいあっても、それを上回る魅力が彼にはあった。必要以上にきつい口調で批判したこともあったが、それはむしろ、自分自身への叱咤激励だった気がする。欠点もなにもかもひっくるめて、おれは彼を同世代の代弁者、いや鏡として受け止めていた。それが彼とおれの関係だった。

 クラッシュ解散後の半隠居状態の15年間、その消息はときたま耳にするぐらいだったが、99年のフジ・ロック・フェスティヴァルで久しぶりに彼の姿を確認したときは、そんなに長いこと離れていたとは思えないぐらい違和感がなかった。しゃがれた歌声はかってに比べればずいぶん衰えていたし、演奏もよれよれだったけど、そこにはちゃんと、おれの知るジョー・ストラマーがいたのだ。何年たっても変わらぬ友人を確認し、おれは自分の生き方がまちがっていなかった気がして、嬉しかった。

 そしてそれからわずか3年半で、彼はおれの前から唐突に姿を消してしまった。本意ではなかったにせよ、彼は降りてしまったのだ。ならばおれは、意地でもヨボヨボになるまで生きながらえて、この世の果てまでも見つめ続けるしかない。それがおれができる精一杯の手向けだ。さらば、友よ。またどこかで会おう。

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