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11/02/2004

原爆オナニーズ

 アルバム『プライマル・ロック・セラピー』のプレスリリース用原稿。03年執筆。

 タイロウは45歳。エディも45歳。本作のエンジニアの山口州治は48歳。レーベル・マネージャーの能野哲彦は40歳。そしてこの文を書いている俺は46歳。年末には47歳になる。
 つまり、原爆オナニーズの新作『Primal Rock Therapy』に関わっているのは、「にっちもさっちもどうにもならねえ」筋金入りのおっさんばかりである。

 老眼が進み、酒が弱くなり、駅の階段の上り下りですぐ息が切れ、徹夜がきかなくなり、腰や肩の凝りがひどくなって、若い娘がみな同じに見えるようになり、脂っこいものや肉類に手が伸びなくなって、血圧だの血糖値だの尿酸値だのが気になり、そろそろ成人病の心配をしなくてはならない歳。

 こういう仕事をやっていれば歳より若く見られることはよくあるが、内実はそんなものだ。人生80年として、折り返し地点をとうの昔に過ぎ、すでに後半戦に突入している俺たちは、タテから見てもヨコから見ても、立派なオヤジ揃いなのだ。

 しかし同時に、俺たちほど元気な世代はほかにない、と言い切れる。俺たちほどロックしてる世代もほかにないぜ、とも断言してしまいたいのだ。その完璧な証が、本作『Primal Rock Therapy』である。

 俺たちは恵まれた世代である、と思う。ロックはおおざっぱに言ってパンク以前/以後に分かれる。俺たちはちょうどその端境期にいた。10代後半から20代にかけてのもっとも多感な時期にパンクに出会った。それまでのオールド・スクールなロックでロックの魅力に目覚め、パンクの登場に衝撃を受けて目に見える景色すべてが変わり、あらゆる価値観や美意識が一新され、音を立てて世界が変わっていく実感を鮮烈なまでに味わった。俺たちより上の世代はそのときすでに十分なオトナであり、社会の常識やシステムに組み込まれていたからパンクの衝撃と革命を受け止めきれず、ザ・バンドの『ラスト・ワルツ』を抱いたまま朽ち果てていった。俺たちより下の世代にとってはパンクはすでに数ある音楽のいちジャンルでしかなく、パンク以前のロックを新鮮な気持ちをもって受け止めることはできなかったはずだ。

 つまり俺たちはすべての原点とも言えるオールド・スクールな60年代~70年代ロックの魅力と、パンク以降の新しいロックの魅力を両方知っている。当初は対立項ととらえられていた両者だが、もちろんロックの普遍的な魅力とは、パンクであろうがそれ以前のロックであろうが変わらない。パンクとは本来の姿を見失っていたロックを原点に引き戻した、いわばルネッサンスだったからだ。アリス・クーパーの「Elected」(原題じゃ感じが出ない。「アリスは大統領」だな、やっぱり)のカヴァーと、オリジナルの高速パンク・ナンバーが違和感なく並ぶ妙味は、俺たちの世代=原爆オナニーズだからこそ、と言い切れる。

 いま「パンク以降の新しいロック」という書き方をしたけれども、しかし、パンクが登場してすでに20年以上もの歳月が流れている。パンクの意味や実態は大きく変わったし、ロックの内実も以前と同じではない。いまやパンクは数ある音楽のいちジャンル、いちサウンド・スタイルのヴァリエイションに過ぎないし、人は居酒屋のメニューを選ぶのと同じぐらいの気軽さで、パンクというスタイルを選択している。またその実態も、陳腐な青春歌謡、人生応援歌と変わらない。少なくともそこに、俺たちがオールド・スクールなロックをすべて捨て、パンクを選んだ、いや選ばずにはいられなかった強い衝動と内実は感じられない。正直言って、現在流布している「サウンド・スタイルとしてのパンク」のほとんどに、俺は興味がない。先人が築き上げた様式をただ踏襲しているだけの怠惰な自称「パンクス」など、俺は爪の垢ほどの価値も認めない。いまさら断るまでもなく当たり前のことだが、パンクとはサウンド・スタイルではなく思想である。既存の価値観や権威をぶちこわし、自らの手で歴史を切り開いていく気概なのだ。それが感じられない「パンク」など、ただの退屈なロックンロールに過ぎない。そして残念ながら、ほとんどの「パンク」・バンドは、俺にとってただ退屈なだけだ。

 しかし原爆オナニーズは断じてちがう。齢20年以上の長寿バンド。やっていること自体も20年前から基本的に変わっていないのに、経年劣化や年齢相応のくすんだりしぼんだりした印象はまるでない。これはなぜかといえば、彼らがパンクに出会ったときの衝撃、やむにやまれぬ衝動でバンドを始めたときの新鮮な気持ち、自分たちが歴史をいちから始めているという鮮烈な実感を、いまだ生々しく持ち続け、それが歌の、演奏の、曲の、詞の、あらゆる場面に「気合い」となって叩き込まれているからだ。聴き手としても作り手としても、彼らほどのキャリアがあれば、ありとあらゆる音楽、ありとあらゆるスタイルに精通しているはずだ。それが彼らの音楽の奥深さ、味わい深さに通じているわけだが、それでもなお現在のスタイルに執着し続けるのは、それが彼らにとっていまだもっとも刺激的で「面白い」からだ。「それしか知らない」者と、「すべてを知ったうえで、それを選んだ者」のちがいは歴然としている。

 続ければエライというわけではない。続ける必然性を感じさせるかどうか、いまだその音が一定の質とテンションを保っているかどうかだ。そして原爆のロックは、まったく申し分なくパワフルでエネルギッシュで刺激的だ。

 コンチネンタル・キッズのランコも死んだ。アウシュビッツの林直人も死んだ。突然段ボールの蔦木栄一も死んだ。ともに闘ってきた同世代の戦士たちは次々と倒れ、鬼籍に入っている。だが俺たちはまだまだ死ぬわけにはいかない。闘いの旗は、まだまだ降ろせない。俺たちには、原爆オナニーズがいる。

2003年10月15日 小野島 大 Dai Onojima

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