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11/01/2004

Robert Wyatt

 このコーナーのインタヴューは、原則として直接会って話したものに限っている。つまり電話インタヴューは載せていない。なぜかと言えば、洋楽アーティストの電話インタヴューは原則として通訳さんがおこない、われわれライターは質問状を作成するだけ、というケースが大半だからだ。相手に会ったわけでも、直接話したわけでもないのに、「インタヴューした」なんておこがましいでしょう? だがこのロバート・ワイアットのものだけは、電話インタヴューである。なぜかといえば、どうしても載せたかったからだ。つまりインタヴューの内容があまりに素晴らしく、電話インタヴューだからという理由だけで眠らせておくのがもったいないからである。……というと鼻持ちならない自画自賛のように受け取られるかもしれないが、ほんとに素晴らしい内容なのだ。インタヴューのテープ起こしがあがってきて、初めて眼を通したときの感動は、いまでも鮮烈に記憶している。そしてそうなったのは、ぼくというより、通訳としてインタヴューを代行してくれた丸山京子さんの力がものすごく大きい。

 対面インタヴューでも事前にかなり綿密な質問状を作成する人がいるが、ぼくの場合はごくおおざっぱにインタヴューの方向性やテーマだけ決めておいて、あとはその場の成り行きで進めることがほとんどだ。事前に作成した質問を消化するのに気をとられるより、その場の空気を読みながら「対話」したほうがいい結果になることが多いからだが、従って、その場に立ち会うことがない電話インタヴューは、どちらかと言えば苦手である。会話としての流れなど関係なく、ただ用意された質問を順に訊いていくだけ、という通訳さんも多いから、電話ではいまいちインタヴューとして盛り上がらないし、たぶんインタヴューされる側もやりにくいんじゃないかと思う。
 
 ところが丸山さんは英語力が完璧なうえに音楽知識もあり、人当たりも柔らかい。頭の回転も速いから、その場の空気を読み、会話としてスムーズに流れるように、当意即妙・臨機応変に対応してくれる。以下のワイアットのインタヴューでも、こっちの思いこみの強い質問をうまくかみくだき、向こうの発言が質問の答えになっていないときはすかさず突っ込み、じゅうぶんな答えをワイアットから引き出している。見事なインタヴュワーぶりなのだ。もし彼女が音楽ジャーナリストに転身すれば、われわれの仕事の何割かは確実に減ると思われるが、どうやら彼女にその気はまったくないらしく、助かっている(^_^;。

 インタヴューは97年8~9月ごろ、アルバム『シュリープ』の発売にあわせ、ワイアットの自宅に電話しておこなわれた。ご承知のように彼は事故で下半身不随の身であり、当然ながら気軽に外出することができず、コンサートをすることも滅多にない。寡作だからこういう形で人前に出てくることもあまりない。だからインタヴューの存在自体が貴重なのだ。たぶん日本人のジャーナリストで彼に直接会って取材したのは大鷹俊一さんだけだろう。残念ながらぼくは直接対面することは叶わなかったわけだが、これだけのインタヴューをとれたのだから、満足だ。

 音楽のイメージから、なんとなく寡黙で気むずかしい印象があったのだが、全然そんなことはなかったようだ。もっとも、気軽に話せる雰囲気を作ったのは、やっぱり丸山さんの力が大きいんだと思う。いやもう、ほんとに感謝してます。

「DIG」誌第15号所載の記事のためのインタヴューの完全版)

●新作を聞かせていただきましたが、美しく、デリケートな世界に感動しました。前作『A Short Break 』 (92年) は4トラックによる自宅でのデモ・レコーディングを集めたもので、あなたの作品系譜からするとかなりイレギュラーなものでしたね。従って、実質的には91年の『Dondestan 』以来の新作ということになります。しかも、『Dondestan 』はすべての楽器をあなた自身が演奏する完全なワンマン・アルバムでしたが、今回は多彩なゲストを招き、曲作りやアレンジまで含めた共同作業になっています。フィル・マンザネラのスタジオを使って、マンザネラ、ポール・ウエラー、ブライアン・イーノなどのミュージシャンが演奏やアレンジ、曲作りに参加していますね。今のこの時期に、このような形でアルバムを制作、発表することを決意した理由を教えてください。

「ミュージシャンが直面する、単純だけど現実的な問題のひとつに、スタジオ代っていうのがあってね。ぼくは決してマーケット・オリエンテッドなミュージシャンじゃない――控えめに言っても。音楽業界全体が音楽を作るのにとてもお金がかかる仕組になってて、ふつうのスタジオではとても仕事がしづらいんだ。これまでにも何度かスタジオに入ったものの、最初の数日だけで何千ポンドとられ、結局は何も(作品が)生まれないという経験をしたことがあった。すごく気分が悪かったよ。だから今回は準備万端の状態でスタジオに入る必要があった。ぼくも年をとってきて、残り時間もそうない。手遅れになる前にと焦らなきゃならなくなってきた(笑)。そんなときに幸運にも、旧友であるフィル・マンザネラが好意で彼のスタジオを提供してくれることになって、状況は一転したのさ。前作は言われるように自宅で録音したが、やれることはまさにプリミティヴという言葉の定義そのもの。機材の持つプリミティヴな力がそのまんま形になった作品だった。もちろん、機材自体は日本製のすばらしいものなんだけどね! それにベイビー・グランドピアノも日本のヤマハだった! つまり、機材はともかく、技術面がまったく追いつかなかったんだ。ぼくはネアンデルタール世代だから。つまり、洗練されたエレクトロニック機材はまったく苦手、ということ(笑)。どうしていいか、途方に暮れて行き詰まっていた。加えてここ数年、いろんな家庭内の問題があったりして、作曲ができる環境ではなかった。もともとぼくは作曲作業は苦なんだ。それでもアイディアだけは徐々に蓄えていた。95~96年頃ごろ、突然「これらを(アイディア)発表しなくては。ただ座っているわけにはいかない」と思い立ったんだ。グループで活動していると、メンバーのひとりの気分が悪かろうが、そんなことはお構いなしに、グループとしての勢いで物事が進んでいくものだろう? つまりグループが個人個人をひっぱっていってくれる。だから、今回は他人の助けを借りることにした。まずレコーディングという意味ではフィル。曲作りという意味では、妻が書いた詩にぼくが曲を乗せる、という形で。このふたつのコラボレーションを通じて、自分以外の誰かと音楽を作る勢い、というようなものを得ることができたんだ。

●もし、日本製の機材やピアノに加えて、日本のお金のあるレコード会社がついていたら、もっと早くレコードを作れてました?

「(笑)いやぁ、レコード会社というのは、レコードを作る時点では金は出すかもしれないが、結局は元を取らなきゃならないってことさ。ぼくのレコードは、そういう意味で数は売れないからね。過去にも、大手のレコード会社から作品を出し、そのスタジオ代の返済に20年かかったという苦い経験をしてる。借金を抱えて生きるのは嫌いだ!」

●つまりこういうことですか?アイディアもあったし、アルバムを作りたい意思もあったけど、レコーディングに踏み切るまでには心が動かされなかったと?

「おそらく、さっき言った‘勢い’を必要としてたんだと思う。他人とコラボレートすることで得るはずみさ。ここ20年で、ぼくはどんどん一人で作業をするようになっていた。何より、他人に頼むよりも安上がりだからね。それに、完璧な演奏ではなかったにせよ、他人に口で説明するよりも、自分の思い描く演奏に一番近いものになる。演奏能力に限度はあったとしても、演奏のキャラクターはまちがってない、ということだ。でも今回は、ぼくのちっぽけな船を走らせるのに、これまでよりちょっぴり多くの風(つまり仲間)が必要だったんだ。

●フィル・マンザネラとはどういういきさつで一緒にやることになったんですか。

「何年か前に、彼のソロ・アルバムでスペイン語の歌を歌ったんだ。フィルはコロンビアの出身でスペイン語を話すし、ぼくがスペイン語で歌うのが好きなのも知っていた。もともとフィルはビル・マコーミックと学生時代の仲間だし、ぼくとビルとはマッチング・モウルで一緒だったので、昔からの友人なんだ。ではなぜもっとフィルと仕事をしなかったのかと言えば、ぼくが普段、ギタリストと仕事をしないからだ。ぼくの音楽はロック・ミュージックじゃないからね」

●ロックじゃない、とは?

「ぼくの育ったカルチャーはピアノを主体としてるんだ。ロックンロールするには年を食い過ぎている(笑)。15才くらいの時からそうだった! 好きなレコードといえば、父親や兄の聴いていた50年代のジャズばかり。ギターとかが出てくる前の話さ。だからロックンロールやエレクトリック・ギターが登場した時は、すごく魅力的だとは思ったが、ぼくの頭の中の音楽はもう形成されつつあった。ぼくは他人が演奏している音楽よりは、自分の中に鳴っている音楽に呼応するタイプなんだ。そしてそれは、周囲ではやっていた音楽にはあまり影響されなかったのさ」

●話が途中でした。フィル・マンザネラと今回やることになった直接のきっかけは?

「ちなみに今回はフィルを含めて3~4人のギタリストと一緒にやっているんだ。なんだか自分がひとりだけの小さな世界から出られなくなって、もがいているような気がしたんでね。だから勇気を出して、ふだんなら難しいと思えるような、もしくは異質に思える要素を取りいれてみようと思った。ほんの少しの勇気を出してね。ギターという楽器で選んだわけではなく、選んだ基準はあくまでも人柄だ。ぼくはミュージシャンの弾くスタイルや楽器で選ぶことはないよ。気持ちよくやれる相手がいいんだ。フィルはそういう人間だった、というだけのことさ。とは言っても、彼のために曲を書いたわけではない。'Alien'はアルフリーダが書いたツバメに関する詩がもとになっている。ツバメはひとつの国に生きるのではなく、世界中を旅して越冬する渡り鳥で、Alienationということの象徴のように思えた。そのへんの感覚はフィルにならわかると思った。彼自身が特定のルーツを持たない、インタナーショナルなミュージシャンだからね。音楽的にも彼の弾くギターが、あの曲を完成させてくれると思ったよ。彼を含めて、頼んだすべてのミュージシャンが曲の意図をちゃんと理解して、ぼくの思い描いていたとおりに演奏してくれたのは、とてもラッキーだったよ」

●ということは'Alien'が最初に録音した曲だったということですか?

「ああ、'September The Ninth', 'Alien', 'Out Of Season'の3曲だった。9月9日というのは、何百羽というツバメがイギリスから越冬のために南アフリカへ経った日付なんだけど、ぼくと妻はその場に立ち合うことができたんだ。何百羽のツバメたちは、人間を怖がる暇もないくらい、おしゃべりに夢中なんだ。まるで田舎に帰る列車の駅みたいに、賑やかに、楽しそうに! ぼくも妻もしばらくは全身の力が抜けてしまい、言葉を失っていた。ものすごい体験だったよ。まるで自分たちが象にでもなったみたいに、重たい存在に思えたんだ。軽やかに空を飛び回るツバメに比べたらね。まもなくイギリスには寒い冬がやってくる。“どうかぼくたちを一緒に連れていって!”という気持ちだったよ。そのことを妻が詩にしたんだ。'Alien'もやはりツバメの曲。ツバメというのは、目的地に着くまでは飛び続けるしかないんだ。一度、着地してしまうと、もう二度と飛ぶ力はなくなってしまう。つまり彼らは自由でありながらも、着地する自由を持たない。とても寂しい自由なんだ。3曲目の'Out Of Season'もまだ一緒に飛ぶには幼すぎる、秋に生まれた(季節はずれの)ツバメのことさ」

●ツバメのアルバムなんですね!

「そうだね。3曲とも妻の詩から生まれ、この3曲ができた時点で、アルバムの全体が見えてきた。アルバムの中核を担う曲だよ。あとは楽しんでいるうちにできていってしまった」

●そんなアルバムのタイトルがなぜ"SHLEEP"なのですか?こういう言葉、辞書には見当たりませんけど。

「(笑)そりゃそうだろう。ぼくは世の翻訳者にとっての悪夢なんだ。いわゆる正しい英語っていうのに忠実ではないんで、存在しない言葉を作り上げるのが大好きなのさ。正直言って、自分でもどういう意味なのか、わからない。当然、Sleep(睡眠)と無関係ではない。妨げられた睡眠(disturbed sleep)というか」

●shlep(引きずる)ともひっかけているのでしょうか?

「うん、それだっていいんだ。きみの頭に思い浮かぶものすべてが正しいんだ。ジョークみたいなものでね、説明はしない方がいいってことさ。その言葉がなんらかの思いを浮かび上がらせれば、それで十分だ」

●ポール・ウェラーやブライアン・イーノらと一緒にやったのも、さきほどと同じで、彼らのパーソナリティが好きだったから、ということなんですか?

「その通りだ。ブライアンは物事を創り、発明するということにかけては、超一級の洗練と子供のような純真な熱意を、みごとに持ち合わせた人間だ。一言で言うなら、晴れた日の太陽のような男だよ。ぼくもブライアンもフィルもかつてはグループに在籍し、全員、そのグループから拒絶された過去を持っている(苦笑)。そういう共通点があって、たまに集まってた仲間なんだ」

●ポール・ウェラーは?

「ポールにはマジックがあるというか、ものすごいパッションがある。でも世の中にはパッションだけはあってもつまらないという若いミュージシャンはごまんといるわけで、ポールがちがうのは、独自のスタイルを持っているからだ。スタイル・カウンシルという名前はまさにぴったりのネーミングだね。それにウィットにも富んでいる。ちょっと距離を置いてはいたが、彼には敬意を払ってきたんだ。音楽的な世界は、ぼくと彼では、だいぶかけ離れているからね」

●でもポール・ウェラーも、あなたと同じようにかなり政治的な内容の歌詞を歌っていましたね?

「たしかにね。彼とは今回、初対面だったんだが、実はむかし、同じ場に居合わせたことがあったんだ。アパルトヘイト反対の行進に参加したときさ。ミュージシャンであれに参加していた人間はそう多くはなかった。大がかりなコンサートという形では多くのミュージシャンが参加したけどね。ふつう、一般の人間に混じって行進するという地味な活動に、ミュージシャンは興味を示さないものなんだ。でも彼は行進に参加していた。その姿を見て、なんとなく彼という人間がわかったような気がして、好意を抱いていた。正直言って、今回ポールに声をかけるとき、ぼくはちょっぴり怖かったんだ。でもさっきも言ったように、気持ちは強くなっていた。“もしまちがいを犯したとしても、それで人が死ぬわけじゃない、だからベストを尽くしてやってみよう”と勇気をふりしぼった。ポールはとても真面目な男だった。真摯な態度で、曲の内容をちゃんと理解しようとしていた。'Free Will AndTestament'と'Blues In Bob Minor'の2曲だ。これまでにも他のミュージシャンと一緒にやったことはあるが、みな“これはロバート・ワイアットのレコードなんだ。自分はあまり目立ってはいけない”と遠慮するんだ。ポールもそうだった。ソロをもっと弾くように言うと、ぼくの音楽のムードを壊したくないと言うんだ。“ムードもへったくれもあるか! なぜ君に頼んだと思う? 自分のムードを守りたいんだったら、スタジオに他人なんか呼ばないよ”と言ってやった。そうじゃなくて、仲間がほしかったんだ、レコードに。最終的に彼はすごくいいプレイをしてくれたよ」


●さきほど気持ちが強くなっていた、とおっしゃってましたね。それがこの6年間の大きな変化のひとつであり、あなたの音楽に与えた影響も大きかったように思えますが、何があなたの中で変わったのでしょうか?

「実はネガティヴな理由からなんだ。子供のころから、ぼくはなにかをしようとして一生懸命になればなるほど、必ずその結果がひどいものになってしまうたちでね。私生活でも仕事の面でも。それでいつのまにか戦争神経症(shell shock)のようになってしまい、自分は何をやってもうまく行かない、だったらなぜ頑張る必要がある、と思うようになってしまった。いまだにそう信じている部分はあるが、人生をずいぶんと生き、こう思うになってきたんだ。“ぼくは人生のほとんどをほぼ一周したに違いない。これ以上続けていこうと思うんだったら、いまやるしかない”って。完璧なものにならないにせよ、考えはまだまとまってないにせよ、とりあえずはやってみようと。たった1枚の作品かもしれないが、何も作らなかったら、ゼロではないかとね」

●なるほど。ではこの6年のまわりの状況における最大の変化はなんだと思いますか? さきほど音楽業界の現状に関して、少し触れられていましたが。

「その答えはぼくにはわからない。というのも、ぼくは音楽シーンを追っかけていないからだ。音楽はたくさん聴くが、聴くのは古いものばかりで、むかし以上にむかしのものを聴くようになったよ。ラジオも聴かないし、音楽雑誌も読まない。買う雑誌といったら、鳥の本とか、天文学関係のものばかり(笑)。音楽業界というのは、ぼくにとってあまりに近すぎて、主観的になりすぎてしまい、よくわからない。確かに(業界と)つきあうのはむずかしいの一言だ。でも一概に、業界が悪い! と責めるのも正しくないだろう。ぼくに交渉能力がなかっただけの話さ。むかしもいまも、業界に対する思いはそう変わっていないよ。ただしここ数年のレコード会社とはとてもいい関係を持てている。ラフ・トレードとも、ハニバルとも――ハニバルはラフ・トレード時代と同じ人間がだいぶいるからね。ラフ・トレードやライコのようなスタッフと30年前に出会えていたら、ぼくはもっと幸せで生産的な若かりし日を送れていたのかもしれない。でもここまで生きてこれてよかったと思うよ。そう言うほどに年をとっているわけじゃないが。でもおじいちゃんなんだよ、ぼくは」

●そんなことないでしょう。

「いやいや。まだ数ヵ月の新米おじいちゃんだけどね! ま、そんなこともあって、むかしよりは音楽業界にも慣れてきたんだろう。あるべきものとして、受け入れられるようになった、というか」

●音楽業界への失望感が、"Old Rottenhat"から6年、"Dondestan"から6年という長いアルバム・リリースの間隔になったと考えていいんですか?

「それはない。というのも、最初から音楽業界に対して、何も期待などしてなかったからだ。最初の出会いからしてむごたらしいものだった。一番最初に出会ったレコード会社の人間は、ぼくにはまったく理解できない、別の世界の人間だった。それをずっと引きずっていたからね。いまこうして自分と同じと思える人たちと仕事ができることをありがたく思っている。むかしのことを振り返り、いろいろと思えるようになったのも、いまがあるからだし、実際に過去はひどいものだったから。乗り越えられた自分は、そしてむかしよりはいい状況にいられる自分はラッキーだと思うよ」

●曲はいつごろから書いたのですか?'Ninth Of September'が最初に書けた曲ということでしたが、去年の9月9日に書いたんですか?

「実際に9月9日に書いたわけじゃなくて、ツバメを見たのがその日なんだ。例年よりは早かったんじゃないかな、飛び立つのが。日付はあくまでも‘秋’の象徴でしかないんだ。妻が詩を書いたのは94年で、ぼくがそれに曲をつけたのはそれから数年後のことだ。別に曲をつけて音楽にしようと思って書いた詩ではなかったから、それだけの時間が自然とかかってしまった。ほかの曲も、特定の時期に書かれたわけではなく、長年にわたってテープ・レコーダーや紙切れにとどめられていたアイディアなんだ。それがいつのまにか、形になり始めた、と言う感じだよ」

●いつもそんな感じなんですか。以前のインタヴューでは「普通のアーティストなら自分がなにをやりたくて、どうしたいのかわかって曲を作ったりするんだろうけど、ぼくの場合は自分で何をやっているのかわからない」と言っていましたが。

「いや、ぼくだって準備万端で臨みたいんだ。今回との一番の違いは、これまではある程度まとまった時期に書いた曲だったのに対し、今回の曲は何年にもわたって書かれた曲だった点だ。だからこそ、以前に比べて、さまざまなムードを持った曲がある」

●実際のレコーディングは、ひとりでやっているときと比べてどうでしたか? 特に苦労したのはどういうところでしたか。

「苦労は特にしなかったような気がするが、いい勉強だったよ。参加してくれたミュージシャンたちを萎縮させたり、型にはめたりするんじゃなく、演奏していてやりやすいと思えるような形を最終的にはみつけられたと思う。つまり、彼ら本来のスタイルでやりつつも、ぼくの音楽にぴったりフィットしていると思えるような場所さがし、ということ。他人とのコラボレートというのは、まったくもって、すべてが勉強だね」

●自分の音楽を知るという以上に、彼らの音楽を知る、という感じでしたか?

「そうだね。ぼくはイヴァン・パーカーの音楽も、ポール・ウェラーの音楽も、10年以上にわたって聴いてきたことになる。時のみがその蓄積を作ってくれるんだ。だからこそいま、こういうアルバムが作れたんだ」

●ほかにもレコーディング中のエピソードとかありますか。

「3曲目の曲は、フィリップ・キャトリーヌというベルギーのギタリストの曲で'Maryan'というんだが、これはさっきの3曲より前にレコーディングされた、正真正銘、一番最初の曲なんだ。数年前に、フィリップが別のプロジェクト用に作った曲だった。あと、チカコ・サイトウというクラシックのヴァイオリニストが参加している。ぼくの住んでいる小さな町に彼女も住んでいるんだけど、なぜこの町にいるのかが大きな謎なんだ。だって、ランカシャーにオーケストラなんて存在しないからね!」

●彼女は日本人なんですね。

「そうなんだよ。彼女も日本にはしばらく帰ってなくて、ある日鏡を見て“ああ、私はまだ日本人だった”と思った、と言っていたよ! ともかく彼女はすばらしいミュージシャンで、クラシック以外のものを演奏することにも、とても前向きなんだ。単に翻訳するだけではなく、あらたなものを作りだす、という行為にね。それで、彼女に'Maryan'で参加してもらった。あれはジャズの曲だが、典型的なジャズの手法じゃない形で演奏したいと思っていたんで、ジャズのバック・グラウンドを持たない彼女の加入は新鮮で、理想的だったんだ。でも悲しいことに、最近彼女は結婚して、フランスに移るらしいんだ。彼女を連れ去られる前に仕事ができてラッキーだったよ。そんな具合に、このアルバム全体が(渡り鳥のような)通りすがりのalienたちによって作られたような気がするんだ。一箇所に止まることのできない者たち。チカコがいなくなるのは本当に残念だ。このちっぽけな田舎町に彼女のような資質のミュージシャンがいるだけでも、財産だったから」

●レコーディングには全部でどのくらいの時間を費やしたんですか?

「チカコとやったフィリップの曲以外は、去年の秋から冬にかけてだ。録音したテープを家に持って帰ってきて聞き直し、またスタジオに戻ってやり直したりした。そういうことをしたのは、今回が初めてなんだ。すべてフィルのおかげだよ。一回ですべてを完璧にしなきゃならない、というプレッシャーは皆無だったからね。曲に対して、時間をおいて向き合うことができたんだ」

●なるほど。ところであなたは依然として左翼思想に傾倒しているんでしょうか。

「ぼくがネアンダール人ミュージシャンだと言ったよね。同様に、ぼくはネアンダール人コミュニストなんだ。だから胸を張って、自分はコミュニストだって、ハッピーに宣言できる……ってそんなわけないか。コミュニストがハッピーじゃいけないよね(笑)。結局は、マルクスやレーニンが説いた世の中の仕組以上に、この世の中をうまく説明できる、あるいはそれにとって代わるようなシステムにお目にかかったことがない、ということさ。マルクスが100年近く前に説いた思想が、いまだ世の中をかなり的確に言い当てているように思えるんだ」

●でもあなたは以前、コミュニズムにこだわらない左翼、という言い方をしていましたよね。

「いや、それは正しくない。ぼくはコミュニストだ(笑)。ぼくの場合、改心するには年をとりすぎている。もし誰かが共産主義以上の思想を提示してくれたなら、ぼくはいつだって、喜んで改心するよ。何度自分がまちがっていると思いたかったことか! もし資本主義が人を幸せにしてくれるんだったら、どれだけすばらしいことか! でも、そういう説は成り立たないってことさ」

●説得してくれる人さえいればいつでも転向オッケー、ということですね(笑)。

「そうだよ。“おまえはまったく間違っている。その理由はこうこうしかじかだ。こうすれば世の中の人間はみな幸せになる”と説いてほしいよ。ぼくだって幸せになりたいだけなんだ。自分が正しいか、まちがっているか、それが大切なんじゃない。大切なのは幸せになることだ。ぼく以上に頭脳明晰な人から何度も“きみは間違っている”と言われたけど、いまのような社会システムで、長い目での平和や安定をどうやって保てるのか、ぼくにはまったく理解できない。そうなるならなってほしいよ。ぼくら(共産主義)の解決策は誰かによって、すっかり時代遅れなものと決めつけられてしまっているわけだから、それならその誰かに、うまくいく解決策を打ち出してほしいもんだよ」

●香港の中国返還をどう思いましたか。

「イギリスのテレビでの扱い方はじつに興味深かったよ。必死で体裁を保とうとしている姿には笑えた。中国に返還されることがいかに悲しい出来事で、イギリスがそのまま統治していたらどれだけよかったか、と誰もが言いたがっていた。植民地を支配する帝国主義者たちは必ずそう言うんだろうし、統治は正しかったんだという証拠をほしがっていた。もちろんイギリスから中国への移行の過程にはいくつかの問題も生じるだろうけど、最終的にはうまくいくとみなが望んでくれることを、ぼくは願うよ。すごく乱暴な言い方をすれば、あくまでも香港と中国の問題であって、イギリス人には関係ないじゃないか。イギリスに住むイギリス人が突然、香港の民主主義の心配をしだすというのは、偽善以外の何者でもないと思う。それだったら、何百年も前に香港の人間に民主主義を与えていればよかったじゃないか。それを突然、思い立ったようにとりざたにするなんて、偽善の匂いしか嗅ぎとれないね」

●イギリスでも同じかもしれませんが、日本の若者は社会的なこと、政治的なことに無知、無関心で、ますます享楽的、刹那的になってきています。いまがよければ、それでいいというような。その一方で、きわめて保守的な右翼思想も勢力を伸ばしているのですが、こういった風潮についてどう思いますか?

「まず言えるのは、現在の政治過程に懐疑心を抱く人たちに対して、ぼくは100%同情するということだ。ぼくだって享楽的な側面がないわけじゃない。煩悩のない僧侶でもなんでもない(笑)。すごく自分がかわいくて、ひとりよがりな人間だ。だから彼らの気持ちはよくわかる。こういうものに関心を示せとか、示すな、と説教をするつもりは毛頭ない。ぼくが口にするのは、自分にとって関心のあること、重要と思えることだけだ。他人までがぼくの考えに共鳴しなくちゃならないなんて全然思っていないし、彼らを批判するつもりもまったくない。政治のそもそもの目的は、すべての人間が幸せな人生を送る、ということだ。そうでなかったら、なんのための政治だ?! 経済的に恵まれ、いい生活が送れていると若者が感じる人生が過ごせるなら、それでいいじゃないか! 右翼思想ということに関しても、同じことが言えると思う。ぼくは日本に行ったことがないから、はっきりとはわからないが、過去になんらかの帝国主義的立場をとった国には必ず、かつての植民地が独立を宣言することを残念なことだと言いたがるような、ハードコアなグループが存在する。彼らは、それが神聖な任務、役割であるかのように感じている。そういった過去の栄光へのノスタルジーに基づいて存続しているのさ。ファシストの犯したまちがいと、コミュニストの犯したまちがいの大きなちがいといったら、コミュニストが未来を美化しすぎたのに対し、ファシストは過去を美化している、ということだ。美化はアートの世界では許されるかもしれないが、政治の世界においては現実を見えなくさせる危いものだと思うよ」

●音楽は現状を変革する力になると思いますか?

「思わないね(笑)。音楽は一種の演劇なんだ。そうとしか言いようがない」

●でもあなたが下半身不随になる事故に遭ったとき、音楽はあなたをポジティヴに変えたり、もしくは助けてくれたのではないですか?

「そいつはいい質問だ。そして答えはおおいにイエスだ。ぼくという個人にとって、人生の安らぎとは、たとえばおいしい料理、いい仲間、友人たちのようなものだ。外部から駆りたてられる動機を必要としない、それ自体が人生を生きるに値するものにしてくれるようなものだ。そして音楽を聴くこともそのひとつだ。聴いているだけで気持ちがよくなってくる。うまい料理を食べたときのようにね。人の音楽を聴くことはおいしいレストランに行って食事をするようなもので、自分で音楽を作るのは料理を作るようなもの。自分のためだけに料理したい時もあれば、誰かの作ってくれた料理を食べたいときもある。人間には感覚があって、その感覚はいつも満たされたがる。耳の感覚はやさしい音楽で愛撫されたい、口の感覚はおいしいものを食べさせてほしいと願う、という簡単な話なのさ」

●もうひとつ聞きにくい質問なんですが――ソフト・マシーンをクビになった理由はなんだったと思います?

「彼らは理由を言ってくれなかった。だから彼らに聞いてくれ。自分でも、何が原因だったのかと推察しようとしたが、想像さえできなかった。もし、彼らからちゃんと理由を言われていたなら、ぼくにも対処のしようはあった。でもそういうことって、しょっちゅうある話だからね。それまで一緒に仕事をしていたのに、突然拒絶されるとか。唯一、納得できないのは、ぼくらが一緒に築き上げたものに対して、金を払われなかったことだ。離婚された妻なんだとしたら、慰謝料や扶助料くらい支払われるべきだと言いたいよ(笑)」

●ヴォーカリストとしての自分をどのように評価していますか。坂本龍一は「世界でもっとも悲しいヴォイス」と評していますが。

「わからない。歌っているときは、意図的に特定の感情を反映させようという気持ちは全然ない。そうではなくて、音を外さないように、テンポがずれないように、舌がもつれないように――今もそうだけど、ぼくは舌がよく回らないんだ――そういう単純なことだけを考えて歌っているんだ。音楽から生まれるエモーショナルな効用というのは、音楽自体がすぐれたものであれば、ぼくなんかが意識しなくても機能するものだと信じている。食べ物の例をここでもあげるとすれば、料理しているとき、これにはビタミンがどれだけあって、たんぱく質はこのくらいで……なんて考えてないだろう? これとこれを入れればおいしくなるだろう、という直感だけだ。効用を分析しながら歌ってるわけじゃない」

●でも、あとで自分の歌を聞き返す、ということはしますよね?

「うん、たまにはね。でもそれは音が外れていないか確かめるためだけだ。そして外れていたら、もう一度歌う。それだけだ(笑)。いや、ただ音が狂っているか、合っているかというだけじゃないのかな。これでいい、と感じられる何かだよ。それが何なのか、言葉ではどうにも説明できない。音楽は、喋ったり書いたりする言葉のようには機能しない。そりゃ、いくらでも音楽の話はできるかもしれないけど、結局は音楽は音楽であり、おしゃべりはおしゃべりでしかない」

●たしかにバッド・チューニングが逆に心地よかったりすることはありますね。

「そうだろ? 音楽の同義語は、言葉の中にはないんだよ。だから結局は、音楽のことは何も語れない」

●そう言いつつ、私たちはこうやって音楽のことをぐだぐだと話してるわけですが。

「(笑)」

●あなたにとって音楽をやることはどのような意味があるのか、次の選択肢から選んでもらえますか? 生きがい、楽しみ、苦しみ、仕事もしくは金、自己表現、あるいは日常。

「ふ~ん。それら全部かな。いや、自己表現というのだけはちがうかも。ぼくにとっては、すでにあるものに触れているにすぎないというか。海に飛び込んで、水の感覚を全身で感じているような感じなんだ。たとえば今、こうしてきみと話をしているときの方がよほど自己表現をしているんだ。音楽をやっているときは――それが最高の形であればあるほど――ぼくはすっかり自分がなくなり、感覚も麻痺し、環境の中に溶け込んでしまう。自己表現以外は、すべてあてはまると思う」

●音楽をやることで目指している最終地点はどこですか? そもそも、そういうところはあるんでしょうか?

「あるよ。レコードを作るたび、ぼくは思うんだ。“今回の自分の限界はここまでだった”と。と同時に“今度はこういう別の可能性もあるかもしれない”と思わずにいられない。それ(最終地点)を一言で言いあらわわすことはできないんだが。音楽はいつだって頭の中で鳴っているし、技術面でそれをテープにとらえる機会が来るのを待つだけさ。すごい壮大な大計画とかではない。試してみたいささやかなアイディアがあと2、3ある、というだけさ」

●では、過去のソロ・アルバムについて、一言ずつコメントをお願いします。まず『The End of an Ear』。

「何年も自分以外のピアノ/キーボード奏者にたじろいでいたぼくが、ようやくピアノ/キーボードをコントロールするチャンスに恵まれたアルバム(笑)」

●『Matching Mole』。

「友人でもあるミュージシャンたちとのコラボレートを楽しんだあと、ぼくはひとりでキーボードを乗せて、脈略をもたせようとした。4~5人の別々の人間が演奏した、というのではなく、統一したひとつのキャラクターを持つレコードにしたかったんだ。そういう意味で、グループのレコードではあったが、自分の世界みたいなものを作りたいと思い始めていて、彼ら(他のメンバー)の寛容さをいいことに、ぼくの心の中に眠る植民地支配メンタリティが目覚め始めていたレコード」

●『Matching Mole's Little Red Record』。

「前作に対するお詫び、とでも言うのかな。友人たちに彼らの自作曲を演奏してもらい、ぼくはあくまでも召使のようにドラマーの役に徹した。テクニックという点で、ひとつだけ心がけたのは、アルバムすべてを通じて、スネア・ドラムをいっさい用いずに叩くということだった。ロックではスネア・ドラムが常にメインで、ばかでかい音で叩かれている。それでスネア・ドラムをいっさい叩かない演奏というのを試したんだ。このレコードでぼくが主張しているのはその点だけで、あとはすべて残りのミュージシャンたちのレコードだよ。1枚目の『Matching Mole』を自分ひとりのものにしてしまったことへの謝罪だ」

●『Rock Bottom』。

「解放だった。皮肉な意味での。73年にドラムを叩けなくなって初めて、自分が何をやりたいのかがわかったんだ。つまりそれは、ドラムをパーカッションとしてのみ用い、キーボードと歌で自分の音楽を演奏するということだった。人からは下半身付随になり、悲しいレコードなのにちがいないと言われたが、ぼくにとってみれば、そんなことは全然なかった。妻と結婚したその日に発表され、どのアルバムよりも幸福感に満ちたアルバム」

●『Ruth Is Stranger Than Richard』。

「これもマッチング・モウルの2枚目同様、友人たちにプレイの場を譲ったアルバムだ。だからこそヴァリエーションに富んでいる。いま聞き直して特によかったなと思うのは、フレッド・フリスと仕事ができたことだ。彼はギタリストとして有名だが、じつはすばらしいヴァイオリンを弾くんだ。このアルバムでは'Muddy Mouth'という美しい曲を彼が書き、ぼくが言葉を乗せた。そこで美しいピアノを弾いているのも彼だよ。もっともハッピーなコラボレーションのひとつと言っていいと思う。'Team Spirit'という曲でのコラボレーション(ドラム=ルイ・アレン、ベース=ビル・マコーミック)も気に入っている」

●『Nothing Can Stop Us』。

「これはぼくがリリースしたわけではないし、アルバムを念頭に録音したのでもない。あくまでもシングルのつもりで録音していた曲を集めたものだ。ヴァージンはぼくとラフ・トレードに対し、レーベルを離れることは認めないと言ってきた。ぼくはいちおうはヴァージンに義理をたてていたんだ。経済的には義理だてする理由なんて何もなかったんだけどね。そんな状況の中でラフ・トレード名義でシングルを録音し、興味のある他人の曲を録音するということを続けたんだ。このころ、共産党員になったばかりで、それは選曲に反映されていると思う。後世に残したくて録音した、というよりは、ジャーナリズト的な理由なんだ。ラフ・トレードがそれをまとめてアルバムとしてリリースしたいと言ってきたので、そうなっただけ。コマーシャルなシングルを作るつもりなど毛頭なかったが、どれもが3分間のわかりやすいナンバーだった。ぼくはちゃんと歌うことしか考えず、テクニック的にはかなり謙虚でプリミティヴに作った。そんなところがジャズとかを聞かない、ロック・ミュージックに慣れた観衆に受け入れられやすかったのかもしれない。意図したわけではなかったんだ」

●『The Animal Film』。

「ヴィクター・ショーンフェルドが人間による動物虐待を扱った映画を作っていて、最初はトーキング・ヘッズにサントラを頼んでいたんだ。ところがヘッズは1曲の使用料に500ポンドも要求してきたもんだから“冗談じゃない!”ということになり(笑)、ぼくがアルバム全部を100ポンドで引き受けたんだ。超低予算の映画だったからね。1時間10ポンド程度の安いデモ・スタジオで録音したんだよ」

●『Old Rottenhat』。

「この時点でぼくは音楽業界から離れていて、自宅で仕事をしていた。逢うのもミュージシャンではなく、アパルトヘイト反対運動とかキューバ救済といった運動に関わる人間ばかりだった。だからこのアルバムの曲を書き始めたとき、チリのヴィクトル・ハラとかの政治色の濃い曲に感化されたのは、当然のことだった。そうやってテープ・レコーダーにたまっていった曲を録音した。それがぼくの仕事だから。たった一人で作ったよ。スタジオ料自体は安くなかったが、時間をかけなかったので、結果的に低予算におさまった。操作や装飾をあまり施すことなく、楽曲のエッセンスを明確に形にすることだけに専念したんだ」

●『Dondestan』。

「これは北に移った直後に作ったアルバムだ。6曲は、妻がその1年前にスペインに行ったときに書いた詩がベースになっている。残りの半分の曲は、ぼくがひとりで書いた。その町にはミュージシャンなど一人もいなかったし、ロンドンからはあまりに離れすぎていた。逢いに来てくれたついでに“ちょうどいい機会だから”と友人たちを録音に引っぱり出そうかとも思ったけど、もしいい結果にならなかったらと思うと気がひけたので、ひとりでやったんだ。でも結果的にはとても楽しめたよ。ベースを弾いたりしてね」

●あなたは若い人たちやミュージシャンに影響を及ぼしてきたわけですが、ご自分でご自分の音楽がそういった人たちに及ぼす影響を考えたことはありますか。

「ノー」

●(笑)でも、そういう事実を思い知らされることはあるでしょう?

「それもないな。というのも、ぼくはあんまり外に出ないし、ラジオとかも聴かない。もちろん“この人はぼくのレコードを聴いたにちがいない”と思えるようなレコードを聴いたことはあるし、ミュージシャンがそういうことを言うのを聞いたことはある。それは嬉しいことだが、考えるとしたら、ぼくが彼らに及ぼす影響よりは、ぼくが他のミュージシャンから受けた影響の方だよ。ぼくの音楽を好きだと言ってもらえるのなら、それはすばらしいことだけど、それを考え出したら自意識過剰になってしまう。ぼくはすべてのことに関して趣味が古いというか……だからいまの人たちが何をやってるのか、さっぱりわかんないんだよ(笑)」

●ではむかしの音楽やミュージシャンから、いまも影響を受け続けているんですか?

「ああ。いまだ、先輩のミュージシャンたちから長年にわたって学んできたことを、飲み込もうとしているような感じだよ」

●若い人たちはどうです? 影響を受けるような人はいますか?

「たまにはね。今回のアルバムに参加したミュージシャンは全員ぼくより年下だけど、とても新鮮だったし、大きなインスピレーションだった。でも次の世代がやろうとしていることに、進んで参加しようとは思わないんだ。そんなことをしてどうなる? 特にロック・ミュージックにおいては。それぞれの世代が、それぞれの声(主張)やカルチャーをみつけること、それがロックなんだ。両親にいつまでもそばにいられて“これは認める、これは認めない”とか言われるなんて冗談じゃないだろう。ぼくらは邪魔者なんだよ。イギリスのコメディ番組のひとこまだけど、ティーンエイジャーが自分の部屋でレコードをかけている。すると父親が入ってきて“いいね、このレコード。いかすビートだ!”とか言うんだ。その瞬間、息子は“おやじが好きなもんなんて聴いてられるか!”と頭に来るわけさ」

●親に好かれた瞬間……。

「そこで終わり! ぼくはそんなおやじになりたくないから(笑)」

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