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07/09/2006

02年夏フェス総括

ミュージックマガジン2002年11月号掲載。

 このトシになっても、長い梅雨が明け、暑い日差しが差し込む季節になれば、心がうきうきするのがわかる。そして、夏が終わり、秋風が吹く時季はどことなく寂しいものだ。

 例年以上にそんな季節感を強く感じたのは、いつになく遊んだからだろう。といっても海や山でリゾートを楽しんだわけじゃなく(もっとも山には何度か行ったが)、7月末から9月の週末ごとに毎週どこかしらでおこなわれていたフェスティヴァル、レイヴなど各種の音楽イヴェントに出かけていたのだ。

 9月号で書いたフジ・ロック・フェスティヴェルを皮切りに7週連続、さらに2週おいて計8回。その間の平日におこなわれたイヴェントや、通常のコンサートもある。見たアーティストの数は見当もつかないほどだ。

 もちろん短期間にこんなに多くのイヴェントに参加したのは初めてだし、いくらシーズンとはいえ、これほどまでに多くの音楽イヴェントが開催された年というのもちょっと記憶にない。それは9月号で書いた通り、もっぱらフジ・ロックの成功がもたらしたものだ。フジによって育てられ、あるいは触発されながら、音楽の楽しみ方やライフ・スタイルを広げてきた観客たちがそれぞれの場で蒔いてきた種が、一気に花開いたということである。

 長い夏休みの始まりは、フジ・ロックだ。9月号にも書いたが、第一回から欠かさず6年連続のフル参戦で、体力的にはもっともきつい年だったものの、楽しさに変わりはない。アーティストの力演・熱演、苗場の自然がもたらす空気感などはもちろんだが、個人的には会場で出会う友人・知人とのしばしの交歓が、とても楽しみなのだ。誰もが幸福そうな笑顔を浮かべている。それがただのイヴェントや野外コンサートではなく、フェスティヴァル=お祭りとしてのフジのありようをよくあらわしている。ライヴが終わり、広場で酌み交わす酒の味は格別だ。もちろん、音楽も。

 コーネリアスは、ツアーで見せた音響と映像のシンクロを、制約の多い野外ライヴで完璧に再現し、苗場の鬱蒼とした山々の空気と一体化した、ほとんど奇跡的なパフォーマンスを披露していた。数年前のアンダーワールドといいビョークといい、フジにはこうしたマジックがある。もちろんそれは恵まれた自然環境がもたらすものが大きいだろうし、インフラの整備、セキュリティなど主催者側の努力はなお大きい。だがなにより、そうしてできあがったフジという場の持つ力、その空気を吸い込んで自己を解放し、想像力を駆使して楽しもうとする観客という存在があってのものにちがいない。マジックを起こすのは、実は観客自身なのである。

 いっぽう、洋楽ファンの間ではフジと比較対照されることも多い<サマーソニック2002>は、メンツの豪華さはフジ以上との評判もあり、東京・大阪あわせフジを上回る動員を
記録したようだ。

 だがぼくはどうもなじめない。無機的な巨大ビル街に展開するドライな都市型イヴェント。屋内の幕張メッセはもちろんだが、屋外スタジアムでもどこか圧迫感があり、解放されない。メッセとスタジアムをつなぐ細い道を係員に促されながら黙々と列をなして移動していると、なにやらベルトコンベヤーに乗せられているような気になってくる。そうしたイヴェントの雰囲気は「サマーソニック・ウォーター」なるラベルを貼ったミネラル・ウォーターを、相場の50円増しの250円で売りつけるという商魂に象徴されている気がする。商業化されたものであることは自明だし、利潤がなければイヴェント自体成立しえないのはもちろんだが、<フェスティヴァル>がそれだけのものではない、ということをわれわれはフジで知ってしまっている。これでは愛着が持てない。出演アーティストが変われば、サマソニの客もそっくり入れ替わってしまうだろう。もちろんサマーソニックの成り立ち自体、あえてフジとは性格のちがうイヴェントを、という発想があることは確かだろう。サマソニの主役は客ではないのだ。

 イヴェントの進行やインフラ面でのストレスはほとんどない代わり、ワクワクさせるロマンも快楽もない。2日間通って唯一ドキドキするような興奮を味わったのは、サマソニのライヴではなく、17日の夜、ガンズ・アンド・ロージスを蹴飛ばして法政大学学館まで見に行ったヘッドラッシュ(レックb、灰野敬二g、PILLds)のライヴだけだった。

 ロッキング・オン主催のイヴェント<ロック・イン・ジャパン・フェスティヴァル>もまた、3日間トータルの動員でフジを大きく上回ったようだ。ぼくが行った2日目は桑田佳祐が出るということもあってか、史上最高動員だったフジ・ロック3日目をうわまわる4万人の入りと、すごい人出。にもかかわらず移動もトイレも売店もスムーズで快適。隅々まできっちりと整備されており、入場者を不快にさせない管理態勢は徹底していた。そこにはフジが苦心して切り開いた道を鼻歌を歌いながら闊歩しているようなスマートささえあった。

 だがフジのような「不自由性」との引き替えの「快楽性」は感じられなかった。入場者を拘束するものはこれといってないのに、解放感がない。なにもかもが管理され計算づくでお膳立てされているような息苦しさがつきまとう。観客の自由な想像力が働く余地がないのだ。それは自然の山間ではなくだだっぴろい公園の敷地を使っているということだけではないはずだ。J-POPの売れっ子を目玉とした超メジャーなラインナップも手伝ってか、フジに比べればはるかに幼くコンサバな客層は、イヴェント全体の管理された感じとよく合っていた。極端に言ってしまえば、ロックのアーティストはたくさん出ていたのにそこには「ロック」がなかったし、フェスティヴァルと銘打ちながらフェスティヴァルの魅力である「非日常性」も感じられなかったのである。

 <寿町フリー・コンサート>をこれらの一連のイヴェントと同列に扱うのは無理があるだろう。しかしそれでも、横浜のドヤ街でもう20年も続いているこのフリー・コンサートが、サマーソニックやロック・イン・ジャパンにない「何か」を持っていることは確かだ。

 ごくふつうの街の一角がライヴ会場に変貌し、人々の生活の場が非日常へと地続きとな
る。観客とアーティストが路上のあちこちに座り込み、車座になってビールをあおり、ツマミをかじり、ときに野次を飛ばしながらライヴを見、口角泡を飛ばして議論する。あらゆる意味でロック・イン・ジャパンという「野外イヴェント」とは対照的な「宴会」だった。もちろん宴会の主役は客であり、ここでは観客とアーティストはまったく同じ位置にいる。アーティストたちは、ロック・イン・ジャパンとは異なりメジャー契約とは無縁の人たちばかりだったが、そのパフォーマンスは、審美的な音楽観や商業的な完成度でははかれないリアリティがあったのだ。ことに瑞々しいエネルギーが迸るハシケンの演奏ぶりは、この夏のベストに近いものだった。

 <トゥルー・ピープルズ・セレブレイション>は、フジの流れというよりは、従来からある屋外コンサートの延長と捉えるのが適当と思えたが、それとは別に、フジを源流とする一連のロック系イヴェントとはいささか成り立ちを異にするのがレイヴである。第一回フジ・ロックが97年、日本式レイヴの源流となった<ナチュラル・ハイ>が95年、<レインボウ2000>が96年と、フジより1~2年早い。そのふたつはすでにないが、最初は海外の見よう見まねで始まったパーティーは、フジの成功を糧としながらそのノウハウを取り入れつつ、ここ2~3年で急激に数を増やしている。ぼくが今年参加したのは比較的大規模なもの。いずれも企業がスポンサードしたり、遊園地の敷地を使用したりといった「商業化」されたもので、口コミやフライヤーで情報流通するような数百人規模の手作りレイヴとはおのずと位相が異なる。だがそれでも、ロック・イヴェントとは異なるレイヴだけの魅力は、確かにそこにあったと思う。

 今年で2回目を迎えたテクノのレイヴ<メタモルフォーゼ>がおこなわれたのはレインボウ2000も開催された遊園地。多くのレイヴには山奥にテントを担いでいくような「不自由さ」があり、それゆえにある種の非日常性、祝祭性を帯び、それをおして参加した客同士の連帯感といったものがイヴェントの魅力ともなるわけだが、メタモルはもっと音楽中心のイヴェントと言える。

 とはいえ、そこには総花的なロック・イヴェントとは異なる親密なムードがある、客がレイヴ慣れしている様子がうかがえ、居心地がいい。武尊祭や朝霧ジャムもそうだったが、メジャー契約しているアーティストがほとんど出演してないからレコード会社の人間がいない。だからメディア関係の人間もこない。つまり仕事モードで来ている音楽業界人がほとんどおらず、ほんとうにテクノを好きな人だけが集まった「パーティー」だったのだ。

 もちろん、星と三日月がまたたく夜空の下、打ち鳴らされる大音量のテクノに身を任せるのがレイヴの真髄。タサカ、マユリ、スティーヴ・ストールと続くアゲアゲ路線で昇天、グリーン・ヴェルヴェットの変態ぶりに爆笑と、朝まで心底楽しんだのである。

 4回目を迎えた屋内レイヴが<WIRE>。毎週のように質の高い野外イヴェントに参加していると、屋内はどうも解放感に欠けると感じる。駅のすぐそばのビル街の真ん中のアリーナでの開催に「不自由さ」も「非日常性」もありはしない。もちろん、2万人の客を一晩中踊らせる場所、と考えると狭い日本ではなかなか求められないし、天候に左右されることなく照明も音響も最高の環境を、となると屋内しか選択肢がないのは、リクツではわかる。だけど、そんな理性的判断など関係なく、オーガナイザー石野卓球にはトバして欲しいのだ。数万規模の客が星空の下、DJラッシュの"Get On Up-Chris Liebing Remix"で一斉に踊り狂うなんて最高じゃん!

 だがそれはほとんど言いがかりのような不満であって、これだけの数のテクノ好きが一同に会する機会を与えてくれる石野に、感謝もしている。実はWIREでは踊っている時間よりロビーでまったりと談笑したりしてる時間のほうが長かったりする。年に一回ここでしか会わないような知人や、古い友人たちと酒盛りで過ごす。そういう楽しみ方はフジ・ロックと共通するとも言える。それもまた「パーティー」らしい。

 <武尊祭>はもっとハードコアなレイヴだ。金曜日から月曜日まで続く長丁場。満足な公共交通機関も宿泊施設もない山奥のキャンプ場。もちろんシャワーもベッドもない。来場者はクルマでテント、寝袋持参でキャンプするしかない。お子様や、なにもかもお膳立てしないと動けない怠惰で自主性のない客はいらない、というわけだ。

 しかし覚悟を決めて来てみれば、そこは桃源郷だった。牛が草をはむ牧場を横目で見ながらリフトに揺られて30分、標高1500メートルのスキー場を使用した会場は素晴らしいのひとこと。どこまでも広がる自然の中、トンボが飛び交い、バッタが跳ねる。テントをたてて山々に囲まれた景色を眺め深呼吸をすると、清涼な空気が胸の中いっぱいに入ってくるのがわかる。

 客層はこれまでのどのイヴェントともちがう。平均年齢は明らかに高く、家族連れも多い。年期の入ったヒッピー風も多く、派手なトランス・ファッションに身を包んだおしゃれであか抜けた客層は、レイヴに通い慣れ雰囲気を心得ているようで、ガリガリにダンスに没入するというより、和気あいあいと楽しんでいる。実にまったりとしてピースフルだ。主役はあくまでも参加者であり、また参加者同士のゆるやかな連帯意識が作り上げる雰囲気であり、音楽はその舞台装置のひとつである、というレイヴの理念を、あざやかに凝縮していた。

 そんな雰囲気にアーティストも素晴らしいパフォーマンスを繰り広げた。ことにROVOは終始アゲっ放しの徹底ダンス・モードで、おそろしくハイ・テンションな演奏を展開。この夏、最高に高揚した1時間だった。いいパーティーはいい演奏を生む。満月に照らされた天然のダンス・フロア。最高のパーティーだったと思う。

 そして、いつになく遊んだ夏休み、その最後に参加したのが<朝霧ジャム>だった。フジ・ロックの主催者であるスマッシュが、フジではできないことを求めて昨年立ち上げた小規模なフェスティヴァルである。会場はフジの会場候補にもなったという、富士山のふもとの山間の牧草地。武尊祭ほどではないにしろ、ここもまた利便性とはかけ離れた不自由なロケーションである。

 すべてが少しずつ不自由で、敷居も高い。だが、だからこそそこには気持ちのいい喜びと幸福がある。前日から降り続いていた雨があがり、流れてきた忌野清志郎の「イマジン」の日本語カヴァーは、この夏の全イヴェントのハイライトだった。こんなベタな曲のベタな日本語詞に感動するのは、もちろん清志郎のヴォーカリストとしての説得力にほかならないのだが、朝霧ジャムのヴァイヴレーションがそうさせてもいるはず。それはロケーションの恩恵だけではない。フェス前日から関連BBSなどでは移りゆく天候にはらはらしながら、雨がやむことを一心不乱に祈る純情な書き込みが殺到した。そこには目に見えない連帯感が確かにあり、その過程で、スタッフやアーティストも含めた参加者の間で、ある種の一体化した信頼感が生まれていったように思う。それこそが、朝霧の持つヴァイヴレーションなのだ。いわば良質なレイヴの持つ場の空気感、参加者同士の一体感からくる充足感が、フジで蓄積したノウハウ、フジ・ロック・イズムとも言うべきライフ・スタイルと合致した成果こそが、朝霧ジャムだったのである。

 ROVOも、ボアダムス(7VO7)も、この夏何回となく見たバンドだが、朝霧でのライヴは格別のものだった。とくに、いつものように大人数のダイナミズムで圧倒するのではなく、テンポを落としてソロ回しを中心にじっくりと聴かせた渋さの演奏は、朝霧という場の空気を吸い込み、かつ聴衆の想像力を刺激する、彼らの原点とも言うべき素晴らしいパフォーマンスだったと思う。それこそがまさに良質なフェスやパーティーの持つ「快楽性」にほかならなかった。

 ソウル・フラワー・ユニオンの演奏を聴きながらテントを畳み、帰路につく。老骨にむち打って遊んだ今年の夏。一晩中踊りまくってもケロリとしている友人たちの若さをうらやましく思う反面、オマエらオレのトシになってもここまで楽しめるか、と自慢してみたい自分もいる。こんな幸福感に満ちた夏を、来年以降もまた味わえるだろうか。

 かって石野卓球は、受け身なばかりで主体性、能動性が足りない日本の観客のあり方をことあるごとに嘆いていた。だが武尊祭や朝霧ジャムの成功は、そうした声に対する回答でもあった。そしてWIREは、2万という雑多なダンス・ピープルを巻き込んで、なお膨張することをやめない。

 まだまだ、夏休みは終わらない。

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