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07/09/2006

Patti Smith @ Fuji Rock Festival '01

ミュージックマガジン01年9月号掲載。

 7月の終わりの昼下がり、定刻に十分ほど遅れた午後三時四十分ごろ、大きな歓声に送られ、微笑みながらゆっくりと彼女はステージに登場した。老婆のような低いしわがれた声で、オリジナル・ヴァージョンよりもさらに極端にテンポを落とした「グローリア」を歌い出す。そして徐々にテンポがあがるにつれ、まるで逆に歳をとるようにその声も仕種も若々しい精気を帯びはじめ、「G-L-O-R-I-A!」という唱和に至るころには性急な革命家のように叫び、自在に客席を鼓舞していた若き日のパティ・スミスが、そこにいたのである。そのプロセスは、まるで魔法でも見せられるようだった。

 上着を脱ぎ捨て、ブーツを脱ぎ捨てて裸足になって「ダンシング・ベアフット」を歌うパティ。ひとつひとつ身にまとったものを取り去るにつれ、彼女は、そしてぼくたちは自由になる。客席に降り、最前列の客と握手をしてまわるパティ。その素晴らしい笑顔がステージ脇のスクリーンに映し出された瞬間、体中に熱いものがわき上がるのを覚えた。反逆と呪詛と享楽のパンク・ロッカーから、愛と優しさと希望という力をも兼ね備えた全人格的な表現者へ。かって触れるものすべてを傷つけ、傷つかずにはいられなかった手負いの獣のようだったパティは成長し、歳をとり、愛する者を生み、喪い、育み、いっそうピュアでポジティヴなパワーを携えて、いま目の前にいる。ぼくたちが聴いているのは、単なる音の塊ではない。ぼくたちが触れているのは、ただの絵空事ではない。ぼくたちが聴いているのは、人間だ。音楽を通じて、ぼくたちはなによりも、彼女の人間性に感動しているのだ。それはぼくにとって、音楽というもの、表現というものの原点を思い知らされるような、ショッキングで、そして啓示的とも言える体験だったのである。

 たとえばマーカス・ポップのように、殆どの音楽はハードウエアやソフトウエアの形態に規定される、と断言する人もいる。だがパティ・スミスの音楽は、機械や道具や音の形態のみで規定されるものでは、断じてない。

 たとえば町田康のように、自分の作品はただのフィクションなんだから、作品を通じて作者の人生や人間性を読みとろうとするのはナンセンス、というよりただの間抜けである、と言い切るミュージシャンもいる。だがパティ・スミスの音楽は、彼女の人間と、辿ってきた人生の航跡をあまりにも鮮やかに凝縮していた。ぼくたちの人生は彼女ほどドラマティックでもアーティスティックでもないかもしれないが、さまざまな山や谷を乗越え成熟した彼女の表現は同時に、その経験や内面の様相を見事に普遍化していたのである。その純化された魂の重さをぼくたちは感じて、泣いたのだ。

 パティに対する「頭でっかちのアート志向」という批判もしくは嫌悪感は、ゆえなきこととは思わない。そうした一種の青臭いプライドや、それゆえの傲慢さや攻撃性、その裏腹の弱さや傷つきやすさこそが、しかし、初期の彼女の魅力でもあった。

 78年3月にロンドンのレインボウ・シア ターで見たパティ・スミスは、いま思い起こしても震えるぐらい尖っていた。全身が神経になったようなヒリヒリする鋭敏な皮膚感覚と、そこから発するカリスマチックなオーラは、広い会場のはるか後方にいたぼくの横っ面をも張り飛ばしそうな勢いで伝わってきた。アンコールで歌われた「マイ・ジェネレーション」は、もしかしたらオリジナルのザ・フー以上に原曲の持つテーマを鮮やかなまでに浮き彫りにしていて、ぼくはあれ以上のパンク・ロックを(しかるべきときに、しかるべき場所で、しかるべきものを、しかるべき人から聴いたという意味で)未だ聴いたことがない。

 だが少なくとも『ドリーム・オブ・ライフ』以降(『ウエイヴ』からその兆候はあったが)、彼女のたたずまいからは、そうした鋭利な攻撃性や不遜なまでのプライドや毒や危うさや屈折は影を潜め、驚くほどストレートでピュアで力強いマニフェストが聴こえるようになっていた。“人々が団結すれば、世界を変えられる”と歌われる「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」は、その典型だろう。一切の反語的ニュアンスも皮肉も諧謔もなく、真正面から撃ち抜くように歌われるこの曲は、パティの変化を鮮やかに示していた。

 そして2001年7月28日、フジ・ロック・フェスティヴァルのグリーン・ステージに立ったパティ・スミスは『ドリーム・オブ・ライフ』で辿り着いた王道を、さらに堂々と歩んでいることが了解できた。それは口先だけの偽善や頭でっかちな理想論ではなく、彼女が外界との激しい衝突と軋轢を繰り返し、ぱっくりと裂けた傷口から流れ出る血をすすり、愛する者との出会いと別れの喜びと悲しみを通り過ぎながらようやく到達した、力強い確信に満ちた境地なのだ。彼女の一挙手一投足に、歌声のひとつひとつに、その波乱に満ちた人生の刻印がなされていたのである。

 当日、もっとも意外な選曲が「ピシング・ザ・リヴァー」だった。前回の日本公演でもやっていないこの曲は『レディオ・エチオピア』(76年)に収められ、まがまがしいまでの性的メタファーと、刺すような孤独と渇望に溢れた、いわば初期パティの毒と呪詛に満ちた作風を典型的にあらわす作品であり、現在の彼女の作風からもっともかけ離れたイメージであると言っていい。だがこの曲から終曲「ロックンロール・ニガー」までに至る流れが、この日のライヴでもっともスリリングな瞬間であった。

 往年の彼女もかくやと思わせる鋭利な言葉の洪水。ドスの効いた低音からヒステリックな叫びまで、変幻自在にはね回るヴォーカル。オリジナルから23年がたってなお、ノスタルジックなロックンロールに堕することなく、追い立てられるような焦燥感と性急なまでのスピード感に満ちたビート。ノイズの混沌にまみれながらのたうち、ギターの弦を引きちぎる。だがその混沌の中から、ぼくははっきりとひとつの叫びを聞き取った。

 「私の子供たちを救って!」

 何度も何度もその言葉を叫び、ステージの上にひれ伏すパティの姿を見て、ぼくは体中が震えるのを抑えることができなかった。なるほど彼女は変わったように見える。だが彼女の中では、スターになることを夢見てかってニュージャージーの田舎で自意識を持て余していた少女時代、世界との違和感に苛まれ血を流し毒を吐き続けた青春時代から一貫して変わらぬ情念とロックンロールへの情熱が宿っている。若いころから背負ったさまざまなトラウマやコンプレックスを払拭し、浄化し、そして残ったのは激しい生への渇望だった。彼女の両腕には子供という名の希望があり、彼女の情熱はその希望の行く末を案じて世界を憂う庇護者としての責務に注がれている。ニルヴァーナの「ハート・シェイプド・ボックス」のカヴァーは、死者を悼み惜しむというより、彼らから背負った債務を、希望という未来に向けて返済していこうという決意表明だったのかもしれない。その激しい意志のありように、ぼくは圧倒された。

 希望は決して潰えない。未来はぼくたちの手にある。

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