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07/08/2006

フジ・ロック・フェスティヴァルはぼくたちに何をもたらしたのか(2002)

 ミュージックマガジン2002年9月号に掲載。

いや、今年のフジ・ロックはきつかった。

 詳しくは別稿のリポートにもあると思うが、3日間とも晴天に恵まれたのはいいとしても、そのぶん照りつける日差しの強さは並ではなかったし、おまけに仕事が立て込んで徹夜で会場に向かったことも手伝って、起伏の激しい山道の行き来に、容赦なくなけなしの体力を奪われてしまい、トシを痛感させられることになった。3日間で9万人とたくさんの人たちが集まったのは結構だが、キャパシティは明らかにオーバー気味。各ステージは入場制限が続出していたようだし、立ち入り禁止区域にも人が溢れ返っている。ステージ間移動に異様に時間がかかり、炎天下に何十分も立たされぱなしはつらかった。3日目は3万5千人とフジ・ロック史上最高の動員を記録したようだが、飲食店の事前の需要予測を大幅に上回り、ドリンクもフードも品薄になって(特にアヴァロン・フィールドとフィールド・オブ・ヘヴンのドリンク品切れは深刻だった)、トイレはもちろん売店によっては1時間以上もの長い行列となって、極端にいえばサバイバル戦の様相さえ呈していたのである。会場から帰宅して17時間ほどが経過したが、3日間フル参戦のあとの疲れは、これまでとは桁がちがう感じだ。

 もっとも、そんな疲労感と引き替えにしてもいいぐらい今年のフジが楽しかったことも確かだ。正直なところメンツはいささか新味に欠けるきらいがあったが、各アーティストの熱演は、そうした先入観を払拭して余りあるものだった。オアシス、ニール・ヤング、ニュー・オーダーと強力なメンバーが揃った昨年のフジに対し今年のラインナップがいささか見劣りすることはほぼ衆目の一致するところだったと思われるが、にも関わらず動員が昨年を大きく上回ったのは、夏のイヴェントとして定着したばかりか、アーティスト・パワーに左右されない「フジ・ロック」というブランドそのものが高く評価されるようになった証だろう。主催者は「フェス当日までアーティスト・ラインナップを発表しないで、フジの名だけでチケットを売るのが夢」とつねづね語っているわけだが、そうした意気込みを実現に近づける努力を、主催者側も観客側もアーティスト側も欠かさなかった結果ということだ。

 そうしたフジ・ロックがもたらしたものは、やはり大きい。

 まずは複数のアーティストが集結した大規模イヴェントの明らかな増加。ロック、クラブ系の主だったものだけでも、「サマーソニック」(千葉、大阪)「WIRE」(今年から埼玉)「ロック・イン・ジャパン」(茨城)「メタモルフォーゼ」(静岡)、「ライジング・サン」(札幌)「朝霧ジャム」(静岡)「武尊祭」(群馬)「TRUE PEOPLE'S CELEBRATION」(東京)など。サマーソニックは屋内も含む都市型イヴェント、ロック・イン・ジャパンやライジング・サンはほぼ邦楽のみのラインナップと、フジとはあえて方向性を変えることで独自性を出そうとしている。だがいずれもフジの成功がなければありえなかったはずだ。WIREだけは屋内で、メタモルフォーゼや朝霧ジャム、武尊祭とともにフェスティヴァルというよりはレイヴであり、そのルーツは数年前に一度だけおこなわれた「レインボウ2000」(静岡)にあると思われるが、やはりフジが与えた影響は大きいはず。

 野外ライヴはもちろんそれまでもたくさんあったし、複数のアーティストが集まるイヴェントも夏の風物詩として各地で催されていた。だがフジがそれらと決定的に異なっていたのが、

1)キャンプなど泊まりがけで出かける
2)複数日にまたがり、朝から早朝に至る長い開催時間
3)複数ステージの同時進行
4)邦楽/洋楽、メジャー/インディ、ロック/ジャズ/クラブ系が混在するラインナップ
5)間仕切り、ブロック分けのない会場
6)音楽以外のアトラクションの存在

 などだ。

 6)はフジ・ロックをただの「イヴェント」ではなく「フェスティヴァル(お祭り)」たらしめているが、とくに重要なのは1)~5)だろう。

 1)2)は、観客にただ音楽というソフトを提供するだけでなく、いわば音楽を中心とした新たなライフスタイルを提示しているということだ。3日間、日常から逃れ、自然に親しみ、フレンドリーな雰囲気と新たな出会いを楽しみ、音楽に浸り込む。エコロジーや人権、反戦、、地雷廃絶、死刑廃止運動といったNGOグループとの連携なども、それだ。今回のフジ開催中に友人と話したのが、「ロック・ファンはフジ・ロック好きとそうでない人に分かれる」という説だった。もちろん冗談だが、そういう実感は確かにある。それは当然、音のスタイルの趣味の問題ではない。同じような音楽を愛好していても、決してフジには来たがらない友人が何人もいる。まったく音楽の趣味は異なっても、同じようにフジで楽しめる友人も何人もいる。それは「フジロックという生き方」と共有することができるかどうか、ということだろう。それがあるからこそ、アーティスト・ラインナップ如何に関わらず、フジは動員を増加させているのだと思える。そしてフジと比較されることの多いサマーソニックがどうしても獲得しえない(というか、目指していない)最大のポイントがそこにある。お気に入りのアーティストを見ることだけを目的としないフジのありようは、それまで接する機会もなかったような新たな音楽・アーティストとの出会いの可能性を広げることにもなり、聴き手に対してリベラルで開かれた姿勢を促すことにつながってくる。

 それは3)4)も同様だ。3)があってこそ4)も成り立つわけだが、ここで大きいのは音楽ジャンルの枠を無効化したこと。つまり聴き手の音楽観、音楽愛好のスタイルのリベラルな更新をはかったことである。邦楽と洋楽、ロックとそれ以外の音楽が混在するイヴェントはそれまでになく、厳然と存在していた壁を(一部ではあるが)壊したことは大きい。フジをきっかけにしてさまざまな音楽を分け隔てなくリベラルに聴く層が明らかに増えたと思えるのだ。また今回でいえば渋さ知らズ・オーケストラ、デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンといった、本誌も含めた主要メディアで取り上げられることはほとんどなく、地道なライヴや口コミだけで人気を高めてきた、メジャー予備軍でないインディペンデント・ミュージシャンたちを大きなステージに積極的に抜擢してきたのもフジの功績である。メジャー・レーベルと契約がなくても、大手ロック誌に取り上げられることはほとんどなくても優れた音楽はいくらでもあるし、それを支える客層も確実に存在する。その層を育てたひとつの要因に、フジがあったと言えるのではないか。

 5)について。野外イヴェントと言っても、ただ単に屋外に椅子を並べただけのものや、せいぜいロープでブロック分けしたものが関の山だったなか、出入りも移動も完全に自由な、天然のスタンディング/ダンス・エリアで統一したフジのシステムは、とかく凡庸なイヴェントが、管理のしやすさやリスクの回避ばかりに目が向きがちで、ロックやダンス・ミュージック本来の自由さを損ないがちなのと対照的だ。フジはそこを死守しながら、リスクの回避を観客の自主性にゆだねることで、結果として観客を育てることとなった。天神山や東京ベイ・サイドでは目に付いた混乱も、その後の苗場ではほとんど問題なく終了したのは、観客の側の意識とスキルが向上したことを示している。これはオール・スタンディングの五百人~千人規模のヴェニューの普及とパラレルだが、フジのような大規模なフェスティヴァルの影響力はさらに大きいはず。数千単位の観客が激しくモッシュ&ダイブを繰り返し、けが人ひとつ出ないというフジ・ロックのあり方は、聴き手の音楽に対する接し方やコンサートへの参加の仕方までも変えたと言える。

 音楽業界内部ではどうだろうか。とくに洋楽の新人クラスのアーティストの場合、単独でライヴを開催することが困難でもフジの小テントなら呼ぶことができる。見る側にとっても、単独なら最低でも5千円や6千円はとられそうなアーティストが、1日1万4千円ほどでいくつでも見ることができるシステムは魅力的だし、レコード会社としても単独ではなかなか動員もままならないショウ・ケース・ライヴをフジという場でやれることは好都合だろう。その過程で、レコード会社とプロモーター(招聘会社)の力関係にも変化があったのかもしれない。

 こうしてフジが打ち出したいくつかのコンセプトは、グラストンバリーなど海外のフェスティヴァルに範をとっているが、もちろんグラストンになくてフジにあるものもある。そのひとつは、日本の素晴らしいミュージシャンたちを見られること。当たり前だが、これは重要だ。そして会場が素晴らしくクリーンなこと。渋谷の街頭では平気で煙草の投げ捨てでもしてそうな入れ墨のアンチャンが、携帯灰皿を持参し、こまめにゴミの分別までやっている様子はなかなか微笑ましい。それがふだんの生活態度まで敷衍していないのが批判の対象になりがちだが、フェスティヴァルを守っていこうという観客の意志が、フジを質の高いイヴェントにしたのだろう。そうしたありようは、もちろん後続のイヴェントにも大きな刺激を与えているはずだ。

 こうして、フジが打ち出したいくつかの価値観は、さまざまに受け継がれ、形を変え発展している。だが主催者・観客双方のスキルとモラルが弁証法的に止揚したトータルとしてのフジ・ロック・フェスティヴァルを、同じ方向性で超えることはおそらく不可能だろ
う。台風に見舞われ中止を余儀なくされた天神山での第一回時のような天災・不測のトラブルが発生したときにどう対処するか、という課題は依然残されているものの、6回を重ねたフジ・ロックのイヴェントとしての完成度は、とてつもなく高くなっている。

 だが問題点がないわけではない。動員の増大にともない、会場は飽和状態に近づいている。置き引きの増加や痴漢の出現、ケンカやゴミの投げ捨てなど、観客のモラルの低下も一部で報告されている。インフラのさらなる整備はもちろんだが、このまま拡大主義に走るのではなく、入場者を少な目に制限するか、あるいは開催期間を一週間ほどに延長してアーティストと観客の分散をはかるかして、イヴェントとしての機能性を回復を追求して欲しいと願うのはぼくだけではないと思う。一時は際だっていたワールド・ミュージック関係への目配せが近年は影をひそめ、ロックとクラブ系にラインナップが集中しがちなのも気になるし、ヘッドライナー級の大物が2回、3回と出演回数を重ねることで、「使い回し」感が強まって新鮮味が薄れていることも今後の課題だろう。アーティスト・パワーに頼らないとは言っても、身内の理解者だけで閉じたイヴェントになってはつまらない。

 当初は主催のスマッシュ代表・日高正博個人の夢から始まったフジ・ロック・フェスティヴァルも、いまやガリヴァー的な巨大イヴェントになってしまった。回を重ね、イヴェントとして定着したことは、いろいろな意味でスタッフも観客もフェスティヴァルの「非日常性」に慣れてしまったことを示している。当初の「不自由さを楽しむ」というコンセプトは薄れがちで、近年はイヴェントとしての管理効率や快適性を高めるような方向性に向かっており、それはこれだけイヴェントの規模が大きくなり、客層が広がった現状では仕方のないことである。だからメタモルフォーゼや武尊祭のような、フジの「権威性」へのカウンターのような「不自由な」レイヴは、規模の大小を問わずますます増えていくだろう。フジ・ロックでリベラルな音楽的視線を獲得した観客が、フジの総合百貨店的展開に飽きたらず、さまざまな方向性と嗜好でそれぞれに繰り広げていく。それは細分化の進む音楽シーンで必然の流れと言えるが、その傾向がさらに進めば、多種多様な音楽とアーティストを詰め込んだフジの重要性が、改めて認識されることにもなるだろう。そうやって物事は発展していくものである。

 ちなみに今回のフジの個人的ベスト・アクトはマヌー・チャオ、ディリンジャ・エスケイプ・プラン、バットホール・サーファーズ、デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン、コーネリアス。今週末はメタモルフォーゼだ。体力持つかなぁ。

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