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07/09/2006

スマッシュ日高代表インタビュー(2001)

 「SWITCH」01年7月号掲載。

 「安定しているのがいやなんだよ。どっぷりとルーティン・ワークの中に浸かってるみたいなのが。フジ・ロックも、だからやったんだと思うよ。大きな賭けだったけどね」

 今年で第5回を迎えるフジ・ロック・フェスティヴァル。夏の一大イヴェントとしてすっかり定着したフジ・ロックは、主催の(株)スマッシュ代表・日高正博氏の理想を具現化したものである。

 20代のころから音楽業界で活躍、83年にスマッシュを設立して以降、ロック/パンク/オルタナティヴ/テクノなど、時代毎の先鋭的な洋楽アーティストを日本に紹介してきた日高氏の頭には、単なる野外コンサートではない、「フェスティヴァル」を日本で実現したいという夢があった。グラストンバリーなど海外のフェスティヴァルに範をとったフジ・ロックの構想は、当初は無謀と囁かれもしたが、夏台風の襲来で2日目が中止となった天神山での第一回、豊洲/東京ベイサイド、そして苗場スキー場と場所を変えながら着々と理想に向かって進んでいる。

 自然の中の不便さを楽しみ、アーティストのプレイだけでなくフェスティヴァル全体の雰囲気を満喫する、自由で開かれた空間――日高氏の夢がいかに実現されたかを訊く。

――フジ・ロックの構想はいつごろから?

「簡単な着想っていうのかな? 思いつきは確か八四、五年くらいでしょう。スマッシュを立ち上げてすぐですね。グラストンバリーとか見て、こんなことできればいいな、って。だいたい俺が何かやるときは全部そうなのね。「多分無理だろうな」って思ってるんだけど、「できればいいよな」とか。こんなことがやれたらいいな、って。夢ですよ。で、その夢を考えてるんですよ。好きな時間が一個あって、その中の一つが寝る前なんですよ。もう、馬鹿みたいな話だけども。スーパーマンになって空飛んでりとか宇宙飛んで行ったりとか。まあ、下らんことですよ。あと、クルマ乗ってあちこち行ったりするの好きだからさ。行き先決めないの、キャンプ何処でするとか。どっか良い所見つけたらそこでキャンプしたりとか。ドライブしてる何時間も何時間もずうっと音楽聴きながらそうやって馬鹿なことばっかり考えてるの。フジ・ロックの場所も、そうやって決めたんだけどね」

――野外コンサートとフェスティヴァルのちがい、ということをおっしゃってますよね。

「俺が思ってることは、お祭りだってこと。お祭りっていうのは何でもありだと。要するに空間を楽しむっていうのかな。コンサートっていうのは音楽を楽しむこと、ってはっきりしてる。で、もちろんこのフェスティバルの核も音楽なんだけど、その核を中心にして、もっといろんな要素がある。俺は音楽も映画も本もペインティングも芝居も、みんな同じだと思ってる。そういうところも含めて何かできないかなと。それでもってキャンプして過ごすっていう。だから本当に俺、一番最初に「不自由ですよ」って言ったの。不自由さを目指したっていう。当然反発を受けるだろうけども、うまくいけばいいなと。本当にね、別に勝算があって始めたわけじゃないし。俺、初めて寝れなかったもん。発表しても。チケット売り出すまで。腹決まったのチケット売り出す時だもん。ていうか反動だったのね多分、今思えば。そういう、無茶なこと考え出したのは。ある程度会社が成り立っている。嬉しいでしょ? やっぱ会社がちゃんと成り立って、給料払える。で、ボーナスも少し出してあげるようになって。したらやっぱりどっかで、ルーティン・ワークになってくる自分が見えてくる。たぶんそれが俺の空想に繋がっていくと思う。「こういうことができたらいいな」って。自分が今いる現状に対しての不満、反発があったんだと思う。で、実際それがかないそうってなったら今度は恐さがきた。「(会社が)潰れてもいいや」って口では言ってたけれども、実際売れなかったからってやめるってわけにはいかないでしょ?

 音楽を通じて世界中に声かけてるわけだから、もう、二度と立ち上がれないよね。信用ゼロだよね。っていうことは「どれだけ借金してもやらないかんな」と思ったし。第一売れるかどうかわからなかったんだよ。だからチケット売り出すまでは不安だったよ」

――で、当日は台風の襲来で大変なことになっちゃったわけですが、特にメイン・ステージの客席の混乱は相当なものでしたね。

「辛かったよね。……何回説得したかわかんないよ。イエロー・モンキーの前、レイジ、レイジの前。あの台風の中、下まで降りて行って。一番前に並んでるノースリーブ着た女の子たち。イエモンを前で見たいがために、朝からずっとステージの最前列に張り付いて動かないんだな。「動きなさい、出てくるのは八時位になるんだから」って言っても絶対離れない。「こんなとこで観れるチャンスないんだから。動いてもいいけれども、イエロー・モンキーが始まったら、前からもう一度入れてくれ」とか言われて、「それはできねえよ」って。もうその女の子たち疲れ果てちゃって。百人か二百人、説得しても出ていかないし。で、イエロー・モンキーに言った。「レイジの前に出るか」って。女の子たちを少しでも早く返したかった。「動いてもいいです」ということになって。ところがレイジ側が言ってきた。「その方が危険だろう。この台風の中でレイジとチリ・ペッパーズが続けてやったら、ケガ人が一杯出る」って言われて。「そうだな」っていうことで、最初の通りにした。どれが正解かわかんないけど」

──で、結局2日目は中止になってしまうわけですが、興行保険に入ってたから、金銭的にはそんなに痛手がなかったとは言うものの、実際問題、ああいう事態になると相当めげるんじゃないかって気がするんですけどね。

「スタッフはめげたろうね。俺? 俺は全然めげなかったけど(笑)。俺は来年のことしか考えてなかったもん。その瞬間から」

──第一回での最大の反省点というのはどこにあったんですか。

「反省って言ったら全部反省だもん(笑)。でもうちだけ(の問題)ではなかったと思う。一〇〇%やったとかそういうもんじゃないよ。総体的な問題だろうと。結局、我々の持っている社会的な状況が見えたなと思ったね。お客さんの問題も含めて、我々も含めて、スタッフも含めて、メディアも含めて。リアリティがないんです、まだ。お客さんも夢。俺らも夢。で、地元の人はそういうことを体験したことがないから、対応の仕方がわからない。一時が万事。はっきり言えば、我々のミスも含めて全部夢と現実のギャップだよね。反省するのは全部だっていうのはそういう意味」

──あの時に私はある雑誌で「今の現状ではこういうフェスティバルを日本で成功させる土壌がまだ日本ではできてない」っていう書き方をしたんですけども。

「まさにその通り。本当に。結局、土壌はない。だからやったんです。土壌があったらやらねえよ。何で人がやってること真似しなきゃいけないと思う。人がやらないから、「危険だ」って言うからやってるんだもん。だからみんな試行錯誤してたっていうこと」

──その土壌は一年、二年でそう簡単にでき上がるものじゃない。

「一つ一つ、一年一年やっていくしかない。三年はかかるだろうと思ったもん。だから2回目が豊洲になったのはめちゃくちゃ不本意だった。場所がないから仕方なくやっただけで。あれはただの野外コンサートだよ。興味がないって言ったら言い過ぎかもしれないけど。「こんなとこでやってうまくできなかったっら嘘だろ」って思ってた」

──二回目に参加して思ったんですけど、終わって家に帰って、家のベットで寝て、また朝行く。つまらないと思いましたね(笑)。まるで日常生活の延長で、物足りなかった。

「でも終わったあと「来年もここでやろう、ここでいいじゃん」って声は多かったよ。ミュージシャンからね。「便利だから」って。やっぱりステージの上から見る光景が素晴らしかったんじゃない? レインボーブリッジが見えて。ものすごい都会的で。それが良かったみたい。俺、今でも覚えてるもん。プライマル・スクリームが演奏終わってから「もう来年、絶対ここでやれ! なんで山に戻るんだよ」って言うんだよ。うちの連中もそう思ってたと思うよ。楽だから。でも自分が面白くないとノレないんだよね。自分が興味持ってないと。あれはあれでいいと思うけどね。ああいう都市型のイベント。サマー・ソニックの話聞いたとき絶対やるべきだと言ったもん。「やんなかったら俺がやってた」て」

──苗場に決まったのは?

「実は天神山に決めるときに一回見てるんだよね。むこう(コクド/苗場プリンス)からオファーがあってね。でも狭い。ゲレンデじゃ五千人も入らない。ステージ作ったら三千も入らん。それで頭の中でデザインして。で要求したの。「このテニス場壊せ」「このゴルフ場壊せ」「この木を切ってくれ」と。切るのは駄目だから「違う所に植え変えしてくれ」「ここに橋架けて」と。向こうは何言われてるかわかんなかったと思う。いくら金かかるかわかんないしね」

──フジ・ロックのために変えろと?

「「それができるなら、ここでやれる」って言ったんだよ。周りは無茶だって言ってたけどね。でもこの話は堤(清二)さんが週刊誌でフジ・ロックの写真見て、それでむこうからきたんだよね。そういう話聞いてるから、トップがOKなら大丈夫だと思った。そうしたら二日で返事がきた。「やります」って」

──地元からの反対はなかったんですか。

「ありましたよ。だって俺があそこに住んでたら反対するもんね。ものすごい強力な反対があった。まず、基本的にはコクドがやるものは「嫌だ」って人いるよね。コクド依存型から脱したい若い人たちに反対が多かった。あとやっぱし悪い噂しか聞いてない。危険な連中がくると。ゴミを一切片付けない、茶髪で、入れ墨して、暴れまくる盗みまくるレイプがある、家に火がつくかもしれないとか(笑)。そういういろんな噂がばんばんまわっていて。全部嘘なんだけれども。それを説明会でひとつひとつ丁寧に説明してね。それでもやっぱものすごい反対があったんですよ。ところが(苗場の)一年目で、お客さんが素晴らしかったでしょ。トラブルがない、スキーのお客さんより全然いいと。万引きもないし、ゴミを拾っていってくれると――それがまた俺から言わせると気持ちが悪いんだけどね――まして経済効果がすごいことになっている。結局、村の人たちも、一年目で反対した人たちも全部、賛成してくれた。今は全面的協力ですよね。だからフジ・ロックは、今後も苗場でしょう」

――場内がきれいなのは特筆ものですよね。ボランティアの協力もあって、ゴミも出ない。

「お客さんの意識にね、多分フジだからきれいにしようってあると思う。大事にしたいっていう意識なんだろうけど、日常生活でも同じように気をつけて欲しいよね。フジだから……きれいにしなくてはいけないっていう、それは本当に嬉しいんだけどね」

――苗場の1回目(一昨年)は特に大きなトラブルもなかったですよね。

「まあ、大きなトラブルはなかったよね。去年も大きなトラブルはなかった」

――それで自信を深められた?

「自信っていうか、余裕が出てきた。こういう時が一番危ない。一年目はね、大きなトラブルっていったらもうステージ裏だったよね。ミュージシャンのマネージメントだよな。ZZトップ。自分らを先にやらせろって。日曜だし遅くなると、向こうって帰っちゃうんだよ客は。だから日曜日のヘッドライナーっていうのはだいたい夕方から九時ぐらいまでなんだよね、だから早めにやるの。そういう認識があったから、それで時間が押してきてたから「俺らが出る時は客がいねえだろう、だから前にやらせろ」と。それでもめた。結局話し合いの末、やるって。でもそれでジョー(・ストラマー)がワリ食って、70分やる予定を「ごめん五〇分にしてくれ」って、まあ気持ちよくやってくれて。そういうのがあったよね。でもあれだけバンドが出て、お客さんに迷惑かかるような大きなトラブルがないことの方がラッキーなのかもね。それは運がいいとしか言いようがないよ」

――アーティストの評判は?

「すごくいいよね。だから本当に出たいっていうアーティストがいっぱい出てきて」

――噂は広がるでしょうからね。

「きれいだしね。俺も海外のフェスティバル行ってるからわかるけれども、もう本質的にちがうものだよね。やっぱり、汚れているし、汚いし、不便だし」

――不自由な中で楽しむっていうことを日高さんおっしゃるけれど、実際にフジ・ロックはかなり整備されてきているから、そんなに不自由って感じがしないんじゃないですか。

「でも初心者の人たちは不自由だって思うんじゃないの?「なーんで、こんなに歩かなきゃいけないんだ」とかね。「なーんで、暑いんだよ」とか。あなたは何回も行っているからさ。何回も行くってことはそれに対して心の用意ができてるわけだしさ。自分で勝手知っているんだもん。ここからここまで何分かかる、こんなものだっていうのは」

――アーティストのブッキングなんですが、やっぱ通常のコンサートとはだいぶ違う御苦労がおありになると思うんですが。

「まずグリーン・ステージを大雑把に決める。表看板みたいなものだから。で、まずヘッドライナーを決める。一番最初は漠然と、これで、次これでみたいな、それが頭の中にあって。「あそこのマネジメントだったらタフだからな」とか「この問題が出てくるだろうな」とか。あいつはこういう人間だから、こういう風に交渉した方がいいなとか。そうやって、頭の中で立てていくわけ。ジグソウ・パズルみたいなもんで、とっかえひっかえする。何回もやってみたり。それで迷ったら考えるのをやめるの。酒でも飲みに行ってワ-ッと話して人の話聞いてヒントがあったり。それからミュージシャンと交渉。一発で決まることはまずない。色々な制約受けるしね」

――他のプロモーターが抱えているアーティストとの兼ね合いみたいなものは。

「基本的にはないのよ。これは他のプロモーターの人もわかっている。フェスティバルだから。よそでやってるアーティストをフジでやるのも、うちでやってるアーティストをサマー・ソニックでやるのも、全然問題ない」

――フジはアーティストのプライオリティーで売るフェスティバルじゃないっていうのがコンセプトとしてあると思うんですけれど、そうは言っても新鮮ないいメンツを揃えることはやっぱり大事なわけですよね。

「お客さんが選べるチャンスがある、チョイスが一杯あったほうがいだろうというのが一つ。もう一つはやる前からわかっていたんだけれども、一番最初はみんな協力してくれるよ、バンドも。チリ・ペッパーズも、腕の骨折っても来てくれたしね。面白いからよ。やったことないんだもん日本で。でもだんだんやっていけばビジネスだからお金の話になってしまう。あと、ちがうイベントが始まって、バンドの取り合いになる。そんな時に俺もいちいち頭下げてまでね、バブルの時みたいにスポンサーの金があるからって無意味な金をどんどん積んじゃって……現実の価格とあわない金を払っているわけだから、当時はね。それでチケットの値段がどんどん上がっていった傾向があるんだけど。それはやめたいし。冠スポンサーもつけない。スポンサーがあって成り立つものは、スポンサーが手を引いちゃったらなくなっちゃう。それは非常に不健全だし。はっきり言ってそれはロックンロールでもなんでもないよ。それともうひとつはね、そんなに毎年うまくいくわけないよっていう悲観論者だから。俺、いつも最悪のこと考えてスタートしてるから。三年も四年もやったら、スムーズにいかない時もある。去年そう思ったの。なぜかって俺の思い通りのブッキングじゃなかったから、去年のは。出てくれたアーティストが悪いとかそういうことじゃない。もっとこの人も出て欲しい、この人も出て欲しいってそういうのがあったのね。今年はだから、満足のいくものにしたいね」

――去年よりも集客力は断然ありますね。

「それだけに、また力を入れなきゃいけないところ一杯あるんじゃない? スタッフ設備共に。今まで体験していない人もくるわけだからそれに対して用意もしなきゃならないし、設備も充実させなきゃいけないし。俺が作りたいものっていうのはまだあるのね。施設的にも。そういう意味では理想に対してまだ七〇パーセントぐらいだろうね。だから環境型のフェスティバルってそういうことを言っているの。俺の願いっていうのはやっぱり、三日間共通券で一切バンド名を事前に発表しないということ。とにかく夏になったらあそこに三日間四日間テント張って遊びにいこうと、行って楽しいよというように思われたい」

――なるほどね、それは確かに究極の夢、理想ではありますね。

「いつかかなうよ。夢はいつか必ずかなう」

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