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07/08/2006

第1回フジロック(1997)

 ミュージックマガジン97年9月号掲載。

 さて、なにから書いていいものか。いま、7月28日月曜日の午後3時。フェスティヴァルが中止になって丸1日半がすぎた。

 とにかくいろんなことがありすぎた。日曜日の夕方に帰宅したあと、編集部の野間くんから情報を聞き、主催者のスマッシュのホームページをチェックして、一般参加者の声を見て。疲労で頭がぼんやりしている。まだ考えがまとまらない。ひとまず思いつくままに今回のフェスティヴァルについて書いてみる。

 スマッシュのホーム・ページに寄せられたスマッシュへの批判(全体の7割ぐらい)を総合すると、1)台風襲来という情報が事前にわかっていたにもかかわらず、その対策が不十分だった、2)場外駐車場および富士急河口湖駅と会場の間を往復するシャトルバスの運行が少なく、しかも大幅に遅れた、3)係員の数が少ない上に仕切りが悪く、対応に誠実さがなかった、という3点に集約される。

 2)3)などは、おそらく台風というアクシデントがなければ顕在化しにくかったろう。滅多にない7月台風の襲来、また例の近隣の娯楽施設のオープンが重なり、道路事情が予想以上に悪化したことも手伝って、スマッシュにとっても、また観客にとっても運が悪かった、とは言える。しかしだからこそ問題点が明らかになったわけだし、それらがクリアされねば来年以降のフェスティヴァルの開催は不可能であり、日本に同種の催しが根づくのも困難だ。寒さに震える観客の状況を知りながら、ぬくぬくとプレス用控室にふんぞり返っていたわれわれマスコミ関係者にスマッシュや観客を批判する資格がないのはよくわかっている。しかしいまは、このイヴェントに関わった者すべてが謙虚になるべきだろう。

 ぼくは行っていないが、バス運行の遅れという点で去年のフェニックス・フェスティヴァルが、雨による会場環境の悪化という点で今年のグラストンべリーが同様な問題を起こしたという。だがさしたる事故や混乱もなくイギリスのフェスティヴァルが終了したのに対して今回のイヴェントが実に後味の悪い終わり方となってしまったのは、主催者側も、観客の側も、このような野外フェスティヴァルに対して経験がなさすぎたということだ。

 ぼく自身のスマッシュ評を一言で言うと「いい意味でも、悪い意味でも自由」というものである。規制がなく、ルーズ。たとえば日本を代表する洋楽ロックのプロモーターであるウドー音楽事務所が、きちんとした管理体制で知られるのと、どこまでも対照的だ。そしてそれは、日本最大手のウドーがこの種の大規模野外ロック・フェスティヴァルを手がけようとしないことや、プロモーターとしては決して大手とは言えないスマッシュが、結果は成功とは言いがたいにせよ、このようなイヴェントを開催できた理由だと思える。

 90年代に入り、オルタナティヴ・ロック・ムーヴメントという形で、ロックの勢力地図が変わった。ヘヴィ・メタルを代表とする華美に装飾された商品としてのロックよりも、若者の日常感覚に訴えるような等身大ロックが支持を受けるようになった。ビジネスライクな規制や微に入り細に入ったお膳立てやこぎれいなコーティングよりも、むきだしのザラリとした感触や汚れや気取りのなさや雑然とした自由さが好まれるようになった。そうした風潮にぴったり合ったのがスマッシュであり、スマッシュの扱うアーティストだった。

 スマッシュ主催のライヴは規制が少ない。ステージ・ダイブなど観客の過激な行動に対しても比較的寛容だし、警備も最低限の数しかいない。基本的に観客を信頼し、観客の自主性に任せているわけだ。観客に対しても、マスコミに対しても、アーティストに対しても、必要最低限のケアはするが、それ以上の規制も、お節介もしない。コンサートを楽しむ上で下らない制約はつけない、その代わりすべて自分の責任でやってくれ、というまさにパンクの「Do It Yourself」の精神である。そして今回のイヴェントのお手本となったイギリスの各種のフェスティヴァルが同様な精神で運営されているのはまちがいない。

 つまり、今回のフェスティヴァルは、まさにスマッシュしかなしえなかった。他のプロモーターでは、企画の段階でリスクの大きさに二の足を踏んでしまうだろう。その点は最大限に評価しなくてはならない。

 だが残念ながら、観客の側がその自由さや規制のなさの中で、あくまでも自分自身の責任で楽しむという行為に慣れていなかった。自分のことは自分でケアする、他人には頼らないという姿勢がなかった。また、これだけの大イヴェントをつつがなく遂行する事務処理能力が、現在のスマッシュにはなかった。

 富士山のすそ野という、ただでさえ冷え込む土地の野外イヴェント、まして台風で厳しい情況になるのはわかりきっているのに、Tシャツ、短パン、サンダルといった軽装でやってきて寒さにこごえ、挙げ句は主催者に「防寒具がない、雨具がない」と文句を言っている者、駐車券なしでクルマでやってきて路上駐車し、渋滞の原因となっている者、ステージ上からの「危険だから後ろにさがれ」という再三の呼びかけを無視して馬鹿騒ぎする者、平気でゴミや煙草を投げ捨てる者など。どれもイヴェントの自由さや規制のなさを勘違いして甘えている例である。

 日本人は規制されることに慣れている。同時に、あれこれお節介を焼かれ、なにもしないでも誰かがやってくれるという情況に甘えている。だから規制がないと、なにをやってもいいのだと思い込む。自立していないのだ。

 もちろん主催者サイドの責任はさらに大きい。台風の接近を知りながら、これといった対策を講じた様子もない。いや、「どうしていいのかわからなかった」「経験がないから、どういう事態になるのか想像もできなかった」というのが正直なところかもしれない。なにより、雨露をしのげる場所があまりにも少なかった。狭い救護室だけでなく、少なくともスタッフルームの一部やプレス用控室などは病人や怪我人のために解放すべきだった。

 会場へのアクセス悪化も,基本的には主催者の責任だ。近隣施設の日程は事前に入手できたはずだし、バスの便数を増やすなどの対策も十分可能だったはず。シャトルバスの客は終演後、横なぐりの雨の降る駐車場で延々と3時間も待たされ、その間ろくなケアもなかったという。来場者への情報提供も不十分だったように思える。係員の少なさや対応の悪さにいたっては論外である。イヴェントのプロとして、事前のシミュレーションも現場での対応も甘かったとしか言いようがない。

 つまり主催者側は観客を信用しすぎたし、観客は主催者に甘えすぎた。金を払ったんだから主催者がなにもかもケアするのが当然と思い込んでいる客と、単に場を提供しただけで現場の仕切りに無頓着だった主催者のすれちがい。そして双方とも、このようなイヴェントに関する経験や知識が圧倒的に不足していた。さらに自戒をこめていえば、こうしたイヴェントの華やかな面だけを無批判にたれ流し、最低限のマナーや準備の呼びかけをおこたったわれわれマスコミにも、責任はある。

 結果的にいえば、現状の日本はこのような大規模野外フェスティヴァルを成功させるほど成熟していなかった、ということになるだろう。海外のフェスティヴァルは歴史が長い。運営のノウハウは十分蓄積されているし、警察や地元当局、周辺の住民などの意識も高く、十分な協力体制がある。「日本のグラストンバリーにしたい」と理想を語るのはいい。だが内外の情況や国民性のちがいを無視して、同列に扱うことはできない。

 しかしだからといって、この種のイヴェントが日本では無理と判断してしまうのは早計だし、規制強化論に傾くのも避けたい。ひとまずこれは第一歩なのだ。経験や知識はいずれ身につく。不測の事態に対処する知恵やノウハウやフットワークも回を積み重ねれば鍛えられるだろう。周囲の協力体制も、その過程で出来上がってくる。

 あれもダメこれもダメのロック・フェスティヴァルなどつまらない。もしスマッシュではない他のプロモーターが主催していたら、大きな混乱もなかった代わり、隅々までガチガチに管理された、なんとも味気ないものになっていたかもしれない。

 資本主義国の商業イヴェントであるかぎり、金をとる側は払う側に相応のサービスを提供する義務がある。少なくともぼく自身も含めた日本の観客は、それに慣らされている。もちろんロックにはそうしたビジネスライクな取引関係だけではない何かがあると信じているからこそ、ぼくたちはロックを聴いてきたし、今回のようなイヴェントもおこなわれたはずだ。だが幻想にすがってばかりでは、現実の厳しさに打ちのめされるだけである。

 この企画が実現するまでの主催者の苦労はある程度想像できる。ぼく自身、スマッシュにはさまざまな形でお世話になっている。正直な話こうした原稿は筆が重い。一言だけ弁護するとすれば、今回のイヴェントが仮に滞りなく終了したとしても、スマッシュにそれほど大きな収益があったとは思えない。膨大なリスクを背負い、成功しても得られるのは「日本で最初の本格的野外ロック・フェスティヴァルを主催した」というプライドだけだったろう。そのプライドは小さいものではないにしろ、決して金儲けだけが目的ではなかったはずだ。それだけは信じたい。

 ぼく個人はといえば、なかなか楽しい経験だった。嵐の中のライヴは肉体的には辛かったが、それ以上に、数万人がこの場にいて同じ時を過ごしているという事実が感慨深かった。もっぱら見たのはセカンド・ステージだったが、各アーティストともかなりの熱演だったと思う。彼らはみな、その場で演奏できることを誇りに思っていたはずだ。

 ぼくはフジ・ロック・フェスティヴァルが来年以降も続くと信じたいし、催されればまた行くつもりだ。今回の結果で、スマッシュも観客もいろいろな形で痛手を被った。そこから立ち直るのは容易ではないだろうが、とりあえず一歩でも前に進むしかないだろう。

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