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2004.09.10

■岡村靖幸@ZEPP東京

 公取のCD流通懇談会とか(まったくもって時間の無駄だった)、ジョン・レノン試聴会とか、いろいろあったけど書くタイミングを逸してしまった。

 ということで、9日(金)は岡村ちゃんである。ちょうど1年前に7年ぶり復活ライヴを同所で見て、大感激した覚えがある。そのときのことは日記に書いた。で、今回はというと………完成度の高い、いいライヴだったとは思うけど、1年前のようなマジック、奇跡はついに起きなかった、というところか。

 1年前の日記に書いた通り、岡村は動きももっさりとして声も出ていなかった。というより、7年ぶりのツアーということでリハビリ途上、手探りでライヴをやっていたのが明らかだった。ステージ上の岡村はどこか自信なさげで、おどおどしているようにさえ、見えた。でっぷり太った体型もぶざまで、通常であればボロボロになってしまいかねないライヴを救ったのは、ファンの声援だった。とにかくぼくはあれほどまでに暖かい観客を見たことがない。いかに彼らが切実に岡村を愛し、必要としているか。自分たちが彼を助け、支えてあげなければいけない、そんなひたむきな思いが会場全体に満ちあふれていて、その思いを受けるようにしてライヴ後半になると心なしか岡村の動きにキレが出て、声も出るようになって、次第にパフォーマーとしての自信を取り戻していくのが、手に取るようにわかったのである。実に感動的な体験だった。観客とアーティストが完全に一体化した、ある種の奇跡をみるような思いさえ、したのだ。

 ところが新作を完成させ、ふたつの大きなフェスティヴァル出演を経て満を持してスタートした今回のツアーでは、1年前のような自信なさげな様子は微塵も感じられない。もちろん全盛期に比べればダンスの動きは劣るし、とくに初期の曲だと声も出ておらず音程も不安定。とはいえ、1年前に比べればはるかに現役感あふれ、なによりステージ上の振るまいが堂々として、確信をもって観客を引っ張っていく様子はさすがエンタテイナーと感心させられる。もちろんバンドの演奏にはソツがなく、PAの出音の良さは特筆ものだった。見事に完成度の高いショウだったのだ。だから観客は安心して岡村の世界に身を委ね、楽しむことができたはずだ。

 だが、だからこそ、そこには1年前のような観客とアーティストの幸福な一体感はなかったのである。1年前は、岡村をバックアップしようという思いがあふれていてあれほど感動的だった「だいすき」や「Out of Blue」の大合唱も、今回はどこか<お約束>めいていた。そこには送り手と受け手というごくありきたりな関係があった。言い換えれば1年前のライヴは観客が主役だったが、今回は岡村が主役で、観客はただそこにいるだけだった。

 もちろんそれはそれでコンサートのあり方として全然間違ってはいない。岡村のライヴは毎回ほぼ同じような構成で進行する。音楽的にも、もはや新機軸は求められない。いわば様式美、伝統芸能であると言える。だがおそらくこの日集まった観客のほとんどはそんな岡村を良しとして、素直に身を委ね、満足して帰途についたはずだ。

 だがぼくはそれでは物足りないのだ。1年前の幸福な一体感は、状況的に二度と起こりえない奇跡だとしても、ここでこういうふうに観客とのお約束な関係に安住してしまっているようなのが、なんとも物足りないのだ。観客をぐいぐいと引っ張り、置き去りにして暴走していく岡村を見たいのだ。このっまでは岡村はお決まりのルーティンワークを繰り返すだけでよしとする怠惰な芸人にすぎない。

 高望みであるのかもしれない。9年間もアルバムを出せず苦悩した結果、ようやく達したのが現在の境地であるなら、それ以上注文をつけるのは酷かもしれない。

 だが、ファンであるからこそはっきり言わせてもらう。「こんなもんじゃねえだろ!」

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