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2005.12.23

■「自分語り」というオブセッション

 このエントリーからの続きです。mixiの日記に書いたことを少しアレンジしたものです。友人である津田大介さんのすすめで、ここに加筆訂正のうえ転載します。口調がぞんざいなのはご容赦を。

 で、そのコメントを読んでちょっと気になったことがひとつ。みんな日記とかコメントで自分のことに言及するとき、必ず「自分語り」と注釈いれるわけですよ。まあそういいつつ、オレもその言葉を使うわけですが、なんかみんなの使い方みてると、自分語りなんかしちゃってみなさんのお目を汚してスイマセン、みたいなニュアンスを感じるんだけど違う?なんか、自分のこと話しちゃいけないみたいな、ミットモナイみたいな、そういうオブセッション。

 オレはなんでそういうこと感じるのかわからない。たとえば、実際に対面しての会話で、相手の意向関係なく延々自分語りしてるのは、そりゃウザいですよ。相手の話す機会を奪ってるわけだから。コミュニケーションが成立してないんだから。また、昔の某誌読者投稿欄によくあったような(最近はさすがにないようだけど)「延々と自分か友だちの話、最後5行だけ音楽の話」なんて、日本の音楽ジャーナリズムを悪しき方向に向けた最大の元凶だと思ってるけど。

 でも、文章書くのってそもそも自己表現でしょ。たとえば音楽について語るのだって、正確にいえば音楽そのものについて語りたいわけじゃなく、その音楽に触発された自分自身について書こうとしているんじゃないの? ちがう? 少なくともオレはそう思ってやってるよ。よくオレは「アーティストのキャラクターばかりを問題にするんじゃなく、音楽そのものを語るべきだ」とよく書くけど、それは思考のプロセスを問題にしてるわけ。まず音楽を聴く。感動する。それを言語化する。感動するのはまちがいなく自分の感性なんだから。もちろん某誌読者投稿みたいな稚拙なやり方は論外ですよ。あれは自分が言いたいことに音楽を後付けで無理やりあてはめてるだけだから。

 もちろんそのやり方は人それぞれ、さまざま。オレはこう思うんだ~!と声高に主張するのはわかりやすいが、一見ただデータを羅列してるだけみたいな文章でも、筆者の自我や感性がにじみ出てるものもある。少なくとも職業ライターである限りは、依頼された内容に応えることがまずは大前提だから、自分語りと客観性のバランスが大事になるけど、ブログやmixiの日記とかコメントなんて自分が書きたいから書いてるだけでしょう。まあ確かに自分のことを語るのが嫌いな人はいるけど、そういう人はたとえ自分のことを書いてもそもそも「自分語りしてスイマセン」みたいな言い訳じみたことは書かないと思う。だいたいこんな日記、一文にもなんないのに書くのは、やっぱ書くのが好きだってことだよね。

 どんどん自分を出そうよ! 自分語り大歓迎! 注釈も言い訳も必要なし! もちろん稚拙で独りよがりな自分語りはいっぱいあるし、読むに耐えないものも多いけど、そこに血が通っていれば、それでいいと思う。

 で、今出ている「ミュージックマガジン」の新しいの読んでたら、オレの古い友人でもある岡村詩野さんがこんなこと書いてる。

 「自戒もこめて、アーティストや関係者がブログやミクシィなどで日記を公開することがリスナーの想像力を剥奪しているような気もした1年」

 なるほど。確かにそうかもしれない。アーティストや制作関係者が、音楽の制作過程や裏話を明かしすぎることで、時に音楽からミステリアスな奥行きが失われてしまう、ということはあるだろう。映画のDVDでSFXの謎解きされるようなものだから。

 でも、mixiやブログで種明かしされてバケの皮がめくれてつまんなくなってしまう音楽なんて、もともとたいしたことないんじゃないの、とも思う。そんなこと言い出したらアーティストはインタビューだって一切受けちゃいけないことになる。「自戒をこめて」と書いているということは、少なくとも岡村さんはわれわれのような音楽ライターも「想像力を剥奪している関係者」だと見なしていることになる。でもね、言葉が想像力を剥奪することもあるだろうが、逆に想像力を飛躍させるきっかけとなることもあるんですよ。オレはそういう経験があったから、今の仕事やってるわけでね。少なくともわれわれの役割は、そこにもあるわけだし、そのつもりでやってますよ。オレはね。

 だいたい、書きたいから書くわけじゃん。ブログやmixiの日記はそれ以外に何もない。一銭にもならないんだから(逆に金はらってこういう場を提供してもらってる始末)。八百屋が野菜を、魚屋が魚をただで配っているみたいなもんだ。そこで「ただより高いものはない、きっとどこか痛んでるものだから(=想像力を剥奪しそうな言葉だから)、いらない!(=読まない!)」と思うのは、受け手の自由。迷惑だと思えば読まなきゃいい。書きたいから書く。相手は関係ない。そこまで責任はもてないです、正直言って。

 まあそうはいってもオレの場合、一応文筆で食ってるから、ブログやmixiでも読者へのサービスや配慮がまったくないってことはありえないですけどね。

 確かに制作に関するアーティスト本人の発言は慎重になるべきだろうけど(例のジョン・レノン「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」の楽曲削除問題におけるヨーコの発言などは口が災いの元になった典型例)、聞き手であるわれわれは、もっと無責任に、自分語りでもなんでもやればいい。

 それに、これは完全に偏見というか、自分を基準に言うだけなんだけど、好きでこの仕事やってて、仕事(=金になる)の文章以外書かないって人が信じられないんだよね。音楽が好きで、文章書くのが好きなら、仕事で書いてる分だけじゃ、言いたいこと全部言い切れるはずないもん。オレだって時間さえあれば、日々聴いたレコードや見たライヴについて、全部書きたいからね。岡村さんの場合は自分の雑誌やってるから、そこで書きたいことは書くってことかもしれませんが。

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