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2008.11.29

■音楽夜噺

(当日まで、このエントリーがトップにきます)

 今月末に、こういうトークイベントに出ます。

「音楽夜噺」第31夜 08年11月29日(土)
ロック・ジャーナリズムとワールド・ミュージック
http://ongakuyobanashi.jp/
論 者:小野島 大 (音楽評論家)
聞き手:関口義人 (「音楽夜噺」主宰)
会 場:東京・目黒
レストラン LUBERO
http://lubero.jp/
目黒駅より徒歩3分
東京都品川区上大崎3丁目5-18
TEL:03-5421-5518
時 間:16:00-18:30(15:30開場)
入場料:
予約¥1,800(1drinkつき)
当日¥2,300(1drinkつき)
ご予約は電話にて受付ています。

20世紀の世界の商業音楽はロックによって支えられて来た、と言っても過言ではありません。しかしロックもそれぞれの国の文化の中で異なる変化や発展を遂げて来た筈です。1980年代後半に世界に登場した「ワールド」な音楽はロックにとってどのような意味を持ち、どういう影響を与え/受けてきたのか。ロック評論の前線に20年以上かかわってこられた小野島大さんをお招きして語っていただきます。
 音楽評論家の関口義人さんが主宰する音楽トーク・イベントで、主にワールド・ミュージック関連のテーマをレコードをかけながらあれこれ語るというもの。過去のゲストを見ても錚々たる面々で、ワールド・ミュージックなど門外漢の私が論者で大丈夫なのかという気もするが、頑張ってみます。関口さんはジプシー音楽関連の素晴らしいご著書などもお持ちで、実際にお会いするのは初めて。楽しみです。

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2008.11.17

■ロック夜話:ありがとうございました

 前回に続きまたも雨にたたられてしまいましたが、たくさんのお客さんにお越しいただき、ありがとうございました。

 ナカコーさんにはiPODやCDではなく、ふだん観賞用に使っているというi-tunesの入ったMacとハードディスクをわざわざ自宅から持参していただき、さながら、ナカコーさんの自宅に招かれ、あれこれ雑談しながら音楽を聴く感じの、とてもアットホームなものになった。もっとも我々がちゃんと会話するのはわずか2回目ということで(それでよく3時間超ものトークショーにお誘いしたものだ!)、最初は双方堅さが残ったことは否定できないし、もしかして古くからのファンには自明のことを今更にように質問してしまった場面もあったかもしれないが、おおむねナカコーさんも機嫌よく話していただき、充実した3時間半だったんじゃないかな。iLLの未発表音源も聴けたしね。新曲はナスノミツル、沼澤尚という現在のバンド・メンバーによる録音で、ものすごくきれいな良い曲だった。来年に予定しているという新作が楽しみだ。

 ナカコーさんのMacには音楽だけじゃなく、さまざまな動画や映像も膨大な量が収められていて、すごく充実したライブラリーになっていた。所有するCDやDVDも片っ端からデータ化してハードディスクにぶちこんでいるそうで、ネットで拾った映像などもあわせ、タイトルを見ているだけでもすごい。これだけのライブラリーを作り管理するのはえらい手間がかかるはずで、かなりマメな性格と見た。

 そして次回ロック夜話は1月18日(日)ですが、もうゲストは決定してます。みんな大好きなあのバンドのあの人。まだ名前は出せませんが、たぶんまた事前予約制になると思います。お楽しみに。

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2008.11.07

■CISCO廃業

お客様各位

永らくCISCO RECORDSをご愛顧頂きありがとうございました。 CISCO RECORDSは平成20年10月31日をもって廃業いたしました。

突然の廃業にて今までご利用頂きましたお客様に多大なるご迷惑を
お掛けします事、深くお詫び申し上げます。

長い間CISCO RECORDSを支えて下さった皆様に感謝と共に深く
お詫び申し上げます。

株式会社シスコインタ-ナショナル

 一週間ほど前からネット上ではすでに噂になっていたシスコ・レコードの廃業。とうとう公式サイトでも発表された。

 去年の暮れに実店舗をすべて閉鎖し通販のみになったときからこの流れは当然予期されていたわけで、そのときと比べると比較的、冷静に受け止められているようだ。だがやはりぼくにとってはすごくショック。ある意味でシスコはぼくの音楽人生を支えてくれた存在だからだ。なにか自分の一部をもぎとられたような気さえ、している。

 ぼくが音楽に目覚めたころ、東京都内でまともに輸入盤を扱うレコード店は、日本楽器(ヤマハ)渋谷店ぐらいしかなかった(資料をみるとディスクユニオンもそのころすでに設立されているはずだが、記憶がない)。それも国内盤との併売で、専門店ではなかった。1969年ぐらいのことだ。それが70年代に突入すると徐々に輸入盤を専門に扱う店があらわれる。現在も新宿に店舗を構える新宿レコードや、シスコもそのひとつだった。手元にある「ニューミュージックマガジン」72年1月号にシスコの広告が載っている。渋谷の西武百貨店の地下に店舗があったころだ。自宅が渋谷から近かったぼくは新宿レコードではなくシスコに通い始めた。もっともまだ中学生だったから今のようにオトナ買いなんかできるはずもなく、まだ輸入盤は高かったから、ただ漫然と店にいってなんとなくレコードを眺めていることが多かった気がする。

 それが為替レートが固定相場制から変動相場制に変わった73年ごろから輸入盤の価格が大幅に下がり、あちこちに輸入盤専門店があらわれた。高校生になって行動範囲の広がっていたぼくはあちこちレコード・ハンティングに遠征したが、そのなかでも価格が安く、品揃えが良かったシスコをよく利用した。ほかに原宿の「メロディハウス」もいい店だったが、どちらかと言えばアメリカン・ロックやシンガー・ソングライター系に強い店だったので、断固ブリティッシュ党だったぼくは、イギリスものに比較的強かったシスコをひいきにしていた。入荷は新宿レコードのほうが早かったが、けっこう割高だったんだよね。

 そして忘れもしない1977年。渋谷陽一の「若いこだま」で初めてセックス・ピストルズを聞いて大ショックを受けて、翌日シスコに行って「Never Mind The Bollocks」のイギリス盤を買ってきた。確かお店は西武の地下のままだった。当時まだイギリス盤は割高で、金のないぼくはアメリカ盤ばかり買っていたはずで、なぜピストルスだけイギリス盤を買ったのか覚えていない。とにかくこれがぼくとパンクとの出会いだ。大学生になっていたぼくは、それまでどちらかというと映画に情熱を注いでいたが、パンクとの出会いをきっかけに再びロックにのめり込んでいった。バイトの金をつぎ込んで、レコードばかり買い漁るようになったのである。もちろん買うのは主にシスコでだ。パンクに出会って明らかにぼくの人生は変わったが、そのきっかけとなったレコードを買ったのはシスコだったのだ。これまで数えきないほどレコードを買ってきたが、買ったときの状況や買ったレコード店まで克明に覚えているのは、このときだけだ。

 まもなくシスコは西武の地下から渋谷の路面店に移り、店舗は大きくなった。輸入盤店は都内のあちこちにできていたが、タワーやHMVはまだなく、ディスクユニオンも現在ほど大きくはなかったから、ほとんどが吹けば飛ぶような小さな店ばかり。だがあのころの輸入盤店は、明らかにある種の音楽文化を象徴していたし、時代をリードしていたと思う。

 パンクからニュー・ウエイヴに時代が移り、就職したぼくは下北沢から新宿に移ったエジソン(確か新宿の前にお茶の水に店舗を出したんだっけか)に通うようになった。パンク/ニュー・ウエイヴ系はやはりエジソンが圧倒的に強かったし、親しい店員もできてなにかと融通が利いたからだ。シスコは以前ほど利用しなくなっていたが、それでもパンク/ニュー・ウエイヴ系以外のレコードを買うときは、もっぱらシスコだった。

 やがてサラリーマンの宿命で名古屋転勤となり、2年半東京を離れる。当時名古屋にはロクな輸入盤店がなく、情報の入手にはえらく苦労したことを覚えている(特に12インチ・シングルのタイムリーな入手はほぼ不可能だった)。やがて東京に帰ったぼくは仲間と「NEWSWAVE」というロック雑誌を作り始める。「NEWSWAVE」は当初、エジソンの通販カタログからスタートしたミニコミで、ぼくの友人が編集長をやっていたが7号まで出して休刊となっていた。ぼくは3代目の編集長として雑誌を復刊させたわけだが、誌名を借りただけで、実質的にはほとんど新創刊したようなものだった。もちろん制作費はすべて自前である。仲間と数人で都内を中心とした輸入盤店に直接足を運び(もちろん地方は郵送だったが)、頭を下げて雑誌を置いてもらった。そのなかのひとつが、すでに渋谷と新宿に店舗を構え、飛ぶ鳥を落とす勢いだったシスコだった。つまりお店と客の関係から、取引関係(というほど大層なものじゃないが)になったわけである。そして「NEWSWAVE」はシスコで実によく売れた。確か渋谷と新宿あわせて700~800部ぐらいは毎号はけていたと思う。もちろんこれは「NEWSWAVE」取り扱い店の中でも、ダントツに多い数字だった(まだタワーもHMVもない時代だ→記憶違い。タワー渋谷店は81年の開業だから、このときはすでにかなり大きな店になっていたはず(現在の宇田川町のジーンズメイトの場所)。ただしNEWSWAVEはタワーとの取引口座がなかったので、取引はなかった)。お店もレジ横にNEWSWAVEを平積みしてくれたり、とても良くしていただいた。当時輸入盤を買う東京のロック・ファンでシスコを利用したことのない人はほとんどいなかったはずで、そこで好意的に扱っていただいたのは、とてもラッキーなことだったと、今でも心から感謝している。NEWSWAVEが一定の評価をいただいたおかげで下北のクラブ「ZOO」(後のスリッツ)から(というかEMMA君から)声をかけてもらい、「NEWSWAVE NIGHT」というイベントを立ち上げて、DJをやらせてもらったのもいい想い出だ。

 その後会社をやめNEWSWAVEに専念するものの、すぐに休刊になってしまい、仕方なく(そう、本当に「仕方なく」だった)音楽ライターの仕事を始めたわけだが、音楽業界のあちこちにNEWSWAVE読者やNEWSWAVE NIGHTのお客さんがいて、その人たちに良くしていただいてずいぶん助けられた。これもシスコでたくさん売ってもらったおかげだと思っている。

 90年代になりNEWSWAVEがなくなったあとは再びお客としてシスコに通うようになるわけだが、そのころになるとタワーやHMVがあらわれ、都内の輸入盤屋地図は大きく変わりつつあった。ヴァイナルからCDへの移行がほぼ完了したのもこのころだった。それとともにシスコはロック部門を廃止し、CDの扱いを減らしてテクノやハウス、ヒップホップなどのヴァイナルを主に扱うダンス・ミュージックの専門店として再出発をはかるわけだ。このころのシスコに思い入れがある、という人は多いだろう。渋谷にあらゆるジャンルのレコード店が大量集結し、西新宿をはるかに陵駕するレコード屋街になった時期(つまり「渋谷系」の季節)と、それはパラレルだった。渋谷の、いや日本のDJカルチャーをシスコが支えていた時期は、確かにあったと思う。

 すでにDJをやらなくなっていたぼくは、昔のようにヴァイナル・レコードを血眼になってディギングすることはなくなっていたから、自然とシスコからは足が遠のいた。のちにテクノ・シスコが出来てからは、主にテクノのCDを購入するために時々訪店したが、テクノのCDの品揃えはタワーやHMVのほうが良かったから、昔のようにシスコで買いまくることはなかった。だから「DJ御用達のダンス・ミュージック専門店」としてのシスコには、さほど語るべき想い出はない。それでも21世紀になり、レコード購入が店頭ではなく通販利用が主になってからは、時々シスコで買うようになっていた。だがテクノ人気が下降しCDの発売点数が激減するとともにそれも少なくなっていった。そしていきなりの実店舗閉鎖、そして今回の廃業である。

 ヴァイナルからCD、そしてPC(データ)へとDJのカタチが変わっていく中で、シスコは役割を終えたということなんだろう。もちろん外資大型店のガリバー的一人勝ち状態の中で、中小のレコード店の経営はさらに苦しくなっている。いや、その外資大型店もいまや、かなり厳しい経営事情のようだ。音楽業界はアメリカも日本もヨーロッパも、CDなどパッケージソフトの売り上げが激減し、危機的状況にある。シスコの廃業はそうした状況の結果であり象徴なのだ。なんかお先真っ暗な感じだが、これも時代の流れなんだろう。

 かれこれ40年近く続いたシスコとのつきあい。近年は少しつきあいは薄れていたけど、それでもぼくの音楽愛好家人生のほとんどを支えてくれたのはタワーでもHMVでもディスクユニオンでもエジソンでも、ましてやアマゾンなどでは断じてなく、シスコだった。いくら感謝しても足りない。ありがとう、そしてさようなら。
 

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