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2009年1月

2009年1月31日 (土)

■ロック夜話vol.24 レポート

 お待たせしました。百々和宏さんをゲストにお迎えしたロック夜話のレポートが届きました。会場に行った方も、行けなかった方も、どうぞご一読を。

1/18小野島大のロック夜話 vol.24 ゲスト:百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)

レポート:なかのめいこ

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 1月18日に円盤にてロック夜話第24回が百々和宏氏(MO'SOME TONEBENDER)を迎えて開催された。完全予約制で行われたイベントは、告知と同時に定員に達する人気ぶり。19時ちょうど、観客を前に定刻通りに姿を現した百々氏は、開演前にアルコールを注入しすでにご機嫌。トークショーは約3時間半にわたり、始終リラックスした雰囲気の中で行われた。

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 まずは音楽遍歴を中心にトークはスタート。1972年に福岡で生まれた百々氏の実家は立ち飲みもできる酒屋。酒は当然飲むものだと周囲の大人から教わり、酒飲みの素質は生まれた時から備わっていたことを明かした。なお、幼少期は落ち着きのない子供で、授業を妨害する生徒の1人として先生から注意される存在。あまりの落ち着きのなさに父親に剣道道場に強制的に入門させられたエピソードも披露された。

そんな百々少年が音楽に興味を持つようになったのは中学生の時。姉の聴いていたマイケル・ジャクソンやマドンナ、デュランデュランに触れ音楽に開眼。ちょうど「ライヴエイド」が開催された頃でもあった。その後は周囲の影響もあって洋楽、特にメタルにどっぷりハマる。ちなみに、家族で出かける時には助手席でDJもどきのことをしていたが、メタリカをかけると父親が激怒したそう。

<1曲目「メタリカ/バッテリー」:中学2年生だった百々氏を覚醒させた1曲として紹介。イントロで観客にヘッドバンキングを促す場面も>

 中学時代にギターを手にしていたものの、思うように弾けずせいぜいストラトキャスターを鏡の前で構える程度だった。高校入学後にバンドを組もうと意気込むも、高校生バンドにありがちなドラマー不在の事態に陥りなかなか自分のバンド組むことができず。初めて立ったステージはお祭りのステージ。誘われて入ったラウドネスのコピーバンドで、ギタリストとしてではなくベーシストとして参加していた。そうこうするうち、無事ドラマーが見つかり中学時代の友人とともに結成したバンドで初めてコピーしたのは、ニューヨーク・ドールズ「パーソナリティ・クライシス」。ちなみにガンズ・アンド・ローゼズもコピーしようとしたが難しくて断念したとのこと。当時のコピー曲のセレクトポイントは「自分にも弾けるかどうか」がポイントだったという興味深い発言も。

<2曲目 ニューヨーク・ドールズ「パーソナリティ・クライシス」:高校生ライブ選手権に参加したときにカバー>

 高校時代を過ごしていた80年代後期はちょうどバンドブーム最盛期。それまで音楽聴いてなかった連中がバンド組んだりしている様子に反抗心が芽生え、誰も知らない曲をカバーしてやろうと意気込んでいた。将来について考える時期でもあったが、家が厳しくない雰囲気だったこともあり、自然と音楽で飯を食えるようになれたらと思っていた。が、当時のギタープレイでは到底無理であることも同時に自覚していた。なお、後日ハマることになる日本のいなたいロック(ルースターズなど)にはあまり興味が沸かなく、先輩が聴く音楽として認識していたとのこと。

 高校卒業後は特に受験勉強をすることなく大学へ。バンドをやろうと意気込むが、周囲の同級生は真面目にバンドをやっている人間がおらず、地元の年上のミュージシャンとバンドを結成するためにボーカルへ転向する。ときにはあまり実績がないうちから「僕ボーカルやってるんですけど」と嘘をついてスタジオでセッションしたりも。

<3曲目 ちゅうぶらんこ「パトリシア」:当時福岡で活躍していたバンドで、百々氏が強烈なショックを受け「こいつらは世界を変える」と思ったバンドとして紹介>

 1990年代は福岡はインディーズで活動するという雰囲気はなく、メジャーデビューが目標となっていた頃。百々氏もプロデビューを目指し、東名阪ツアーを開催したりNHK「BSヤングバトル」(NHK主催のアマチュアバンドコンテスト)に出場したりする。「BSヤングバトル」ではSIVAというバンド(ブリティッシュ系のサウンドでメイクもしていた)で出場。大学の休学届けまで準備して臨み、全国大会で準優勝を果たす。司会者の赤坂泰彦に「ジョンレノンっぽい」と評され有頂天に。さらに実績が認められ、ピンでデビューしないかという話や、当時の音楽業界の風潮からユニットでデビューという話を持ち込まれたが、一緒にやってきたバンドメンバーを裏切れないと断り続ける。「もしピンでデビューしていたらピアノの弾き語りをしていたかもしれない?」という問いに場内は爆笑。それに対して「もしかしたら東京ドームで歌っていたかもね」と返す場面も。

 しかし、SIVAも3年ほど活動した後、解散。SIVAではできなかった「どがしゃーん」とした音楽がやりたくて、藤田勇と一緒にモーサムを結成することに。それと前後して曲作りが楽しくなり、一人で東京に出てしまってもいいかと思ったりもしていた。しかし、東京に出て成功した例が近しいところでなかったため上京には躊躇していた。ちょうどその頃「FUJI ROCK FESTIVAL」の第1回目に藤田を含む友人たちと一緒に参加。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのステージを見て「バンドがやりたい!もうバンドしかない」と決意する。その頃MTRを購入し曲作りを充実させようとしたが、1日で破壊し「俺はBECKにはなれん」と思ったというエピソードも披露された。

<4曲目 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン「ピープル・オブ・ザ・サン」:FUJI ROCK FESTIVALのエピソードに絡んで紹介。同時に飛び入りゲスト、中村達也氏登場。第一声は「あけましておめでとうございます」

<5曲目 JOY HEIGHTS「太陽がちっさい」:新宿ピットインのライブを大友良英がリミックスしたもの。元は「太陽がいっぱい」という曲だったが、中村達也氏の意見でタイトル変更>

中村達也氏との歓談の後、再びモーサム結成時の話に。モーサムに関しては特にどういうバンドにしようという意識はなく、メンバー全員が好きな音楽といえばスネークマンショーだったと話す百々氏。モーサムの音楽がどこかダサいのは、スネークマンショーのDNAが刻み込まれているからという発言も飛び出した。

<6曲目 スネークマンショー「Stop The New-Wave」:モーサムメンバーが好きな曲として紹介>

 「どがしゃーん」としたアルバムを出せればバンドが短命でもいいと考え、とにかくメーカーの言うことは聞かないというポリシーを貫いていた初期のモーサム。彼らの音を聞きつけたクアトロのスタッフに「一緒に7インチを作ろう」と声をかけられ、初音源「DRIVE」を発表することとなる。初めてのCDができあがったときは、思わず天下取った気分にもなっていたそうだ。同時期より80年前後のロックバンド、例えばFRICTION、じゃがたら、INUを聴くようになった。

<7曲目 FRICTION「BIG -S」:モーサムもカバーしているナンバー>

 メジャーデビュー直前に東京に拠点を移動。個々の音楽性が楽曲に反映され始めたのも、上京してからだと言う。とにかくメジャー進出したときは、日本のロックの夜明けだ!と思ったけど、肩すかしを食らった雰囲気があった。その中で、とにかく「メジャーでどこまでエグくできるか」をテーマに活動を展開。ボーカルの音を下げたり、ドラムの音を徹底的に歪ませたり「今考えるとあんな極悪な音をよくメジャーでやれたと思う」とのこと。なお、当時の音源のエンジアリングは後期BLANKEY JET CITYを手がけた南石聡巳が担当している。

<8曲目 MO'SOME TONEBENDER「echo」:初期モーサムの代表曲として紹介>

 ユニバーサルとの契約終了後、アルバム「TRIGGER HAPPY」を制作。これは自由に好きなように作ったアルバムとして百々氏としても印象深い1作だそうだ。コロムビアと契約した後は、以前の音楽性から一転ポップな楽曲を作るように。きっかけは打ち込みやシンセサイザーの導入で、最初は藤田氏がそのスタイルを持ち込んだ。当初はドラマーがドラムを叩かないのはいささか疑問でもあったが、本人が叩かないというならという雰囲気。打ち込み導入に関してはライブでどうするか迷ったが、実際にライブ(朝霧JAMで初披露)でやってみたところ客の反応もよく感覚を掴んでいく。

<9曲目 MO'SOME TONEBENDER「Antonio Baka Guy」:少年ナイフ・トリビュート盤のために録ったボツ曲>

 最近になってロックに対しての考え方が変わったという百々氏。それまでNO(ない)と思っていたものを、YES(あり)と思うようになる快感を感じるようになっているとのこと。また、モーサムは必殺技がないまま技だけを覚えていったことで、モーサムならではの黄金律がないと発言。そして船長3人がいるような状態が今のモーサムであり、逆に何をやってもおかしくない状況だと話した。ベーシストがベースを置いても、チャンピオンベルトがかぶろうともとありなのだと武井氏の行動についても言及し、会場を爆笑させた。なお、最後は今後について「ワガママ具合に拍車をかけていきたい」と話しイベントを締めくくった。

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(イベント中に紹介した楽曲)
1. メタリカ/マスター・オブ・パペッツ
2. ニューヨーク・ドールズ/パーソナリティ・クライシス
3. ちゅうぶらんこ/パトリシア
4. レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン/ピープル・オブ・ザ・サン
5. JOY HEIGHTS/太陽がちっさい
6. スネークマンショー/Stop The New-Wave
7. FRICTION/BIG -S
8. MO'SOME TONEBENDER/echo
9. MO'SOME TONEBENDER/Antonio Baka Guy

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2009年1月19日 (月)

■ご来場ありがとうございました

「ロック夜話」vol.24、たくさんのご来場ありがとうございました。

 百々さんは終始上機嫌、まったくの飛び入りで特別ゲストも登場、盛り上がったのではないでしょうか。

 詳しいリポートは、後日掲載しますのでお楽しみに。

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